2011年4月25日月曜日

主の復活を覚えて・仙台教会 長島慎二

輝かしい主の御復活の日を迎えて、仙台教会の教会員としてご挨拶をいたします。
仙台は素晴らしい天気となりました。
大震災後の最初のイースター礼拝は、わたしの人生において忘れることができないものになるでしょう。
讃美歌を歌いながら、どんなときも主の御復活ほど、わたしちたちに希望を与えるものはないであろうことを感じました。
特別の祈りは、わたしたちを一致させるものでした。

仙台教会では、ボランティアのみなさんが寝泊まりをしながら、献身的な活動をなさっています。
おそらく、日本中の皆さんが、被災地で苦しんでいる人々のために何かをしたいという気持ちが心に溢れていることと思います。
人々に対する支援の在り方は、被災地の場所やそれぞれの被災者に応じて多様性が求められています。
被災地から遠く離れたところにいらっしゃる方の中には、この大震災が既に過去のものに感じられる方もいるかも知れません。
しかし、全体的には、支援そのものの在り方を模索し始めたばかりであるというのが実情でしょう。
支援の方策の種別には人的支援と財政的支援という側面があり、組織的支援と個人的支援、また、物質的支援とメンタル上の支援という側面もあります。
ひとつの正解があるのではないのです。

わたしたちは十分に留意しなければならないことは、やはり、「となりびと」になることです。
このように言うと傲慢であるかも知れませんが、不思議なことに、自らが隣人になることは困難である一方で、隣にいる存在が自分の「となりびと」であるか否かは敏感に感じるのです。
わたしたちは、キリストの教えを知っています。隣人とは誰かという問題は、常にわたしたちの心の問題を浮き彫りにします。

From Sendaiで書いていますので重複になりますが、宮古市の避難所にいる教え子の声を電話を通して聴いたとき、涙が止まりませんでした。生きていてくれるだけでも感謝でした。
わたしの最初の教え子であったのです。
昨日、その教え子にものを送るために仙台駅に行きましたところ、群衆の中で、「先生」と声を掛けられました。昨年の卒業生で、気仙沼向洋高校の教師をしています。津波の中を泳いで逃げたと聞いています。
わたしは急いで、同じ高校で教師をしている教え子の安否を尋ねました。
自宅に電話をすると、「この電話番号は、今は使われていません」という合成音声を聴くのみであったのです。
二年続けてわたしの単位を落として、三年間、三年生に留まった後にわたしの研究室を卒業し教員になった教え子でした。
大学のオープンキャンパスに高校の教え子を連れて来てくれたものでした。
個人的には結婚式にも招待され、年賀状もやり取りしていました。
仙台駅で遭った教え子は、彼が元気であることを告げてくれました。
昨日は、別の教え子にも声を掛けられました。
被災地では、皆が声を掛けあい、励ましあっています。
何よりも、気持ちを寄せ合うことが励ましになるのです。

わたしには、いまだに安否がわからない教え子が多くいます。
おそらく、被災地に住まいする人々も同様の状況であることでしょう。
あまりにも広大で、かつ甚大な被害状況は、わたしたちには絶望を感じさせるものです。
しかし、それでにもかかわらず、わたしたちが互いに「となりびと」であることが、今、このときに私たちを支えるものになるでしょう。

どうぞ、引き続き、被災地で苦しむ方々に思いを寄せてくださるようにお願いします。

仙台教会 長島慎二