2011年9月14日水曜日

[ボラレポ]交わりの喪失に寄り添う

私は今回の震災復興ボランティアの参加に際して、深刻なシーンを目の前にして、私の心がどうなってしまうのか、身の安全は確保されるのかといった恐れの感情がそこにはあった。しかし、この震災の現実を一人の人間としてどう受け止めなければならないのかという問いをいつも抱え続けてきた。そして、今回このような中で、東北地方へ震災復興ボランティアとして赴く機会が与えられた。そして正味計2日に渡って、救援物資の仕分け、保育園の園庭の草むしり、個人宅の庭の整地を行ってきた。



現地での被災者との出会いを通して、震災後の現実が私に知らされた。石巻にあった現実、それは、隣人の命の喪失であり、物の喪失であった。私は現地で次のような生の声を耳にした。津波が引いて傷ついたご遺体を発見されたこと、隣の新築の家が津波で泥だらけになって引っ越したこと、命からがら津波に追われて車で高台に避難されたことなどおおよそ非日常的なシーンが日常の中に突如とやってきたとのことであった。当然、被災地には、膨大な物資や重機が必要であり、金銭的、物的な支援も必要であるが、一人の人間として心に留めたこと、それが被災者の心の支援の問題であった。特に深刻なことそれが、交わりの喪失であった。これまで身近にいた方が、震災を境に亡くなられてしまう、引っ越してしまう。心のストレスはどれだけ深刻なのか考える機会が与えられた。私は、お話を同じ目線で聞こうと努めた。一緒に過ごす時間を共に楽しく、深刻に過ごすことに努めた。このような働きを通して、目の前の方に将来への希望を伝えようと努力した。かけがえのない経験をした二日間だった。

また、被災地での長期間、短期間のボランティアの働きを見ることが出来たことは、大きな収穫であった。被災者のグリーフワークを日常的になさっておられた方、自らの車で、ボランティアを募って現地で活動をされておられた方、どのお働きも、大事な働きであることを知らされた。次に大きな自然災害があったとき、私は何をすることが出来るのか、考える機会となった。

一つだけ後悔していることがある。帰宅を翌日に控えた晩、ボランティアでの肉体的、精神的な疲労もあって、倒れてしまったことである。そのために、常駐のボランティアスタッフ、短期のボランティアスタッフに多大なご迷惑をお掛けしてしまった。

このような頼りない私を受け入れてくださった現地の皆様に心より感謝している。

ボランティア 渡邉克博(日本ルーテル神学校)