2011年12月30日金曜日

長島さんレポート20111230

先日28日のレポートにありますように、仙台市若林区の荒浜地区を訪れました。家内の祖母の出身地で、荒浜というよりも深沼との言い方が馴染みで、浜は深沼海水浴場として知られています。わたしも、新年の日の出を見に行った記憶や海水浴をした記憶があります。大震災直後、荒浜で数百体もの死体があがったというラジオのニュースに、蝋燭の火に集まった家族は動転したものでした。実際、親類の方が犠牲になっており、大震災直後は交通規制がかかって近づくこともできなかった地区でした。

今回、訪れてみると、がれきに埋まっていた田は随分と片づけられておりました一方で、住宅街はいくつかの破損したままになっている建物を見るだけでした。海岸線に平行に走る県道10号塩釜亘理線は、ひっきりなしに大型車が走行し、県道の両側はあちこちで工事が進められていました。津波が襲ってきたら逃れることは困難であろうことは一目して了解できるのでした。

荒浜から、更に南下して、仙台市と名取市を分かつ名取川にかかる閖上大橋を渡ると、町全体が流された閖上地区に入ります。気分的に、閖上大橋を越えることはできませんでした。

自宅に戻ってから、家内に「故郷の富山だったら写真を撮れる?」と聞かれて考えました。「写真を撮ることはできないかも知れないね。」と答えました。今回の大震災にあたって、多くの地元の方の写真や動画が残されましたが、どのような思いで撮影なさっただろうかと考えさせられます。酒田出身の写真家である土門拳は、もし聖武天皇の時代に写真があれば東大寺大仏の開眼法要の写真をみることができたろうにと本に書いています。今、撮影しなければ、自分が撮影しなければ記録は残らない。そのような思いがあっただろうと思います。

JLERが行っている救援活動も同じであろうかと思います。助けを求めている友人のとなりにいて、今、自分が手を差し伸べなくてはという思いがとなりびとの活動を支えているのでしょう。一方で、地元の住民でないことの故にできることと、できないことのあることも思い知らされたのではないでしょうか。

あらためて、年末にあたり、仙台教会を代表してご挨拶いたします。

何よりも、大震災以降、ひとりひとりに働きかけてくださった主に感謝いたします。

救援活動の本部長である青田先生を始めとして救援活動に関わりをもってくださった方々に感謝いたします。

ありがとうございました。

個人的なことですが、一昨日から娘のうち一人が、昨日から別の娘とわたしが発熱、嘔吐の症状になりました。わたしは、昨夕と夜中にひどく嘔吐しました。今日、年末の救急病院に掛りました。検査の結果、インフルエンザは陰性ですが、ノロウイルスかも知れないとの診断でした。一昨日食した生ガキかもしれないとのことで、カキを食べなかった長女と長男はケロッとしています。今年の最後の報告がお腹の調子の話しで申し訳ありません。谷崎潤一郎の「細雪」の末尾の雪子のようなもので、新年に向けて新しい旅立ちを前に情けないばかりです。医者からは、しばらく、自宅でゆっくりするようにとのご指示でした。

みなさん、体調に気を付けて良い新年をお迎えください。

仙台教会 長島慎二