2012年3月11日日曜日

仙台教会礼拝3月11日

  大震災より1年経過しました。地震が発生した2時46分は自宅で静かに過ごしました。テレビでは政府主催の追悼式典が映し出されていました。遺族代表の方のお話しは、内容の重さを思えば驚くほどに静かなものでした。各地での追悼の様子も静かなものでした。日本全体が静かに耐えているようでした。
 先週、図書館で借りて読んだ本の中にも、大震災直後の人々が秩序を保って耐えていることに世界中が驚きの思いで伝えたことが記されていました。本を読んで、わたしの方が以外な思いを持ちました。わたしも日本人なのだと思いました。本の中で、翻訳が困難な日本語が紹介されていました。「がまん」と「しかたがない」ということばです。現実を真正面から受け止め、むしろ前に向かう気持ちが含まれているように思います。一方で、まさしく現実には耐えることにも限界があります。となりびとの現実に対して「がまん」や「しかたがない」を強いることはできません。あらためて、静かに耐えているとなりびとに目を留めていきたいと思います。
 仙台教会は、派遣牧師として大きな働きをした伊藤文雄牧師が説教を担当なさいました。特別な聖書箇所を選ぶのではなく、聖書日課の解き明かしでした。御言葉はいつもわたしたちを優しく包んでれます。わたしたちの周囲の多くのものは崩れ去りましたが、御言葉は永遠に残ります。この1年間、何よりも感謝したいことは、毎週の礼拝を神が整えてくださったことです。御言葉無しには、「ルーテルとなりびと」の働きはなかったのです。ルーテル救援活動に関わる全ての者が、御言葉に目を留めてくださるよう願います。となりびとは御言葉のうちに見出すものだからです。
 末尾ながら、半年間、活動をしてくださったHさんが今週中に東京に戻られるとのことで、最後の礼拝をご一緒しました。心から感謝します。スタッフ一同に神様の恵みがありますようにお祈りします。
仙台教会 長島慎二