初日はご自身の娘さんを津波で亡くされた「小さないのちの意味を考える会」http://311chiisanainochi.org/代表の方のお話を、愛知県から訪れた方と共に、現地の大川小学校でお聞きしました。
大川小学校は様々な議論の末、生き残った子どもの声により震災遺構として残されることが決定しましたが、この地域ではご覧の通り、引っ切り無しにダンプカーが行き来し、未だに復旧作業が連日続いています。
大川小学校を後にした一行は、かき養殖のための共同作業・漁具倉庫の支援先の見学を行いました。
そして、その日の夕食はその支援先からいただいた牡蠣や地元支援者の方の手づくりの郷土料理をいただきながら、支援者の方のご自宅で参加者相互の交わりを深めました。
二日目は「つるしびな」製作を三か所の仮設団地で行った地元ボランティア団体の方々と仮設追波川河川団地(主に大川小学校のある地域の方が居住している)で現在、布ぞうり製作・販売をしている「なごみ会」の皆さんとの交流会をご覧の通り行いました。仮設追波川河川団地に入居している方は来年の7月頃には道の駅「上品の郷」向かいに建設される復興公営住宅に入居される予定です。
お昼は道の駅「上品の郷」で地元名物「金華さば丼」をおいしくいただきました。
昼食後は、わかめ養殖の支援先を訪問
ご覧のわかめ料理をいただいた後は、養殖されたわかめを購入しました。
その後、一行は、車いすダンスの支援先を訪問
車ダンス支援のいきさつや、被災した時の状況などのお話を聴いた後は手作り用品の購入支援を行いました。
そして、迎えた最終日、今回の震災で最も犠牲者の多かった南浜・門脇地区を訪問。
震災遺構として残されることが決定した門脇小学校を見学し、
新たに南三陸まで伸びた三陸道を利用して南三陸町志津川地区に向かいました。
南浜・門脇地区はご覧の通り、新しい道路も整備され、復興公営住宅も整備され始めています。その影響でこの地区の復興へのシンボルでもある「がんばれ石巻」の看板には近づくことができなくなっていました。
南浜・門脇地区はご覧の通り、新しい道路も整備され、復興公営住宅も整備され始めています。その影響でこの地区の復興へのシンボルでもある「がんばれ石巻」の看板には近づくことができなくなっていました。
そして、南三陸町志津川地区に到着。
かさ上げ工事もかなり進み
かさ上げ工事もかなり進み
JR気仙沼線に代わるBRT(バス高速輸送システム)の駅も町の中央に移設され、仮設商店街であった「南三陸さんさん商店街」もリニューアルされていました。
かさ上げは、ご覧の通り防災対策庁舎の二階部分までの高さに達っしています。
そして、今回訪問最後の気仙沼市本吉町前浜に到着。
ルーテル教会救援最大の支援先であった、「東日本大震災復興記念前浜マリンセンター」を訪問しました。今は、気仙沼市のコミニュティセンター(避難所)になっているマリンセンターは、毎週のように様々な方に活発に利用されています。
マリンセンター建設の経緯や現在の利用状況などのお話をお伺いした後は、「KEPPAPE(けっぱっぺ)」の手作り品の購入支援を行いました。
恒例の記念写真撮影後、一行は一路、仙台に向かい、2泊3日の被災地訪問を無事終えることができました。感謝です。