8月9日から14日にかけて被災地を訪問してきました。今回の訪問は、福島県の郡山からレンタカーを借り、2017年3月31日に避難指示解除をされた富岡町から福島第一原子力発電所のある帰還困難区域である大熊・双葉両町を経由し、北上する形で、奇跡の一本松のある岩手県陸前高田市まで約400Kmに渡る沿岸部の復旧・復興状況を確かめるための訪問でした。
郡山市には原発の「賠償相談窓口」がご覧の通り設置され
地元の直売所には農産物が溢れるその一方で、放射能の残土はいたるところに山積みされていました。
帰還困難区域に入ると震災当日のままの風景が
平成29年3月31日避難指示区域が解除された浪江町
公共機関等は再開していますが、街には人が影は全くありません
震災当時、避難所であった宮城県東松島市旧野蒜小学校体育館は完全に撤去され、傍らには放射能測定器が設置されていました。
そして、校舎はリニュアールされ、教育施設に
仙石線旧野蒜駅は、震災遺構となり
仙石線東名駅、野蒜駅は高台移転で新しい駅舎となり、集団移転による新しい街が出来上がっていました。
「となりびと」で支援ていた仮設住宅の方々も今年6月~7月にかけてご覧の復興公営住宅に入居されました。
その中のお一人は復興公営住宅のご自宅に迎えて下さった時に「どうぞ、皆さんのお家にお越しください」と言われ迎えて下さいました。「皆さんの家」、それは、この復興公営住宅は皆さんの支援によって出来上がった家ということ。だから、この家は皆さんの家だから遠慮なくどうぞということを意味していました。そして、この言葉には、その方の言い尽くせない感謝の思いが溢れていました。
また、今回の震災で最大の被害を出した石巻市南浜・門脇地区は
居住可能地区には復興公営住宅が完成し、新しい生活が始まっていました。
震災遺構となった旧門脇小学校周辺は公園や祈りの場となり
南浜地区の居住禁止地域では国営の復興祈念公園造成工事や祈念行事等が行われていました。
日曜日には、震災の年の5月にボランティアとして訪れた石巻栄光教会の礼拝に出席し、
一つの学校として最大の死亡者を出した旧大川状学校は震災遺構としてパネル等も設置され、多くの訪問者が訪れていました。
また、旧大川小学校区であった大川・長面地区では神戸大学。名古屋市立大学・愛知淑徳大学による街並み再現などのワークショップが開催されていました。
宮城県の各地では震災後、はじめて海水浴場がオープンしました。