2011年4月10日日曜日

ルーテルボランティア支援センターとなりびと、明日から仙台教会で開設





明日11日から、ルーテルボランティア支援センター「となりびと」が開設されます。
礼拝堂に畳を敷き、みなさんの宿泊、休憩所として用いられます。(日曜日には礼拝堂として整えます)
現地事務所設置のためのネット、電話などの開設なども順次整えられます。
ボランティアの参加、祈りの参加、ともにお待ちしています。
仙台教会長島兄よりメールがとどきました。


主にある兄弟姉妹のみなさんへ

恐ろしい地震とそれに伴う津波から明日で一か月になります。
大きな被害を受けた地域のひとつにある教会の一員として、みなさんにご挨拶をいたします。

あの日は、多賀城にある職場にいました。
職場から近い多賀城駅まで水が寄せていたことを知ったのは何日も経ってからのことでした。
地震が発生して外に出ましたところ、目前で石垣が崩れました。
仙台市青葉区に住む同僚と、古川市から成績発表を見に来ていた学生を乗せて泉区にある自宅に向かいました。
自宅に寄ってから、同僚を送るためと仙台駅前にいた娘を探す為に仙台駅方面に自動車を走らせました。
道路は大渋滞で、同僚を途中で降ろし、小路に入って娘との連絡を試みました。
ようやく連絡が付いて、雪の中を数キロメートル歩いてマイクロバスに退避していた娘を拾うことができました。
地震後の四日ほどは停電で暗い中、毛布を被って煎餅をかじり、トランジスタラジオの放送に耳を傾けました。
寒かったことと、地震が来ることへの怖れもあったからでしょうか、何日もの間、寝るときもオーバーもズボンも着けたまま布団に入りました。
近くのスーパーマーケットには未だに閉まったままのところがある一方で、個人の店舗が食糧を販売してくれました。
五百円で洗髪を始めたパーマ屋さんがあり、やはり五百円の弁当を寿司屋がホームセンターの駐車場で販売しました。
みなが、なんとか助け合って生活をやり繰りしました。
それでも、食糧や水やガソリンの欠乏は容易なものではありませんでした。

日本福音ルーテル教会や近畿福音ルーテル教会のみなさんとボランティアセンターや被災地を回りました。
言葉を失う光景が目の前に広がっていました。
陸橋だけが残された駅前があり、砂浜のようになった田園地帯があり、コンテナーが流れ着いた海水浴場がありました。
悲惨な光景は、しかし、美しい日本の故郷を想像させるものでした。
人々の生活がそこにはあったのでした。

仙台教会は、支援センターとしての活動を始めました。千葉教会から小泉牧師が支援センター立ち上げに尽力しています。
今日は、礼拝後にご芳志の畳を敷きました。
多くのみなさんに、利用していただきたいと願います。
支援は、緊急性のある支援と時間をかけて行わなければならない支援があります。
なるべく多くのみなさんが、仙台の支援センターを利用していただいて現地の重荷を共に担っていただきたいと思います。
このあと一か月もすれば、仙台も暑くなります。膨大ながれきの山や、ヘドロに浸かった住居の清掃は急がれます。
今月の下旬になれば、ボランティア活動に勤しんでいる中高生や大学生も学校が始まります。

わたしたちは、何よりも、今、絶望の中に沈んでいるであろう方々のことを覚えなけばなりません。子供と失った老夫婦、親を失ったこどもたち、家も仕事も失った方々もいます。
原発の近くにお住まいのみなさんの不安はいかばかりかと思います。
祈りましょう。
わたしたちに最も必要としているのは、みなさんの祈りです。
その意味で、礼拝での共通の祈りに力を与えられました。
祈ってください。

この困難なときにも、みなさんの祈りと支えがあって、共に神に感謝することができることは恵みです。

みなさんの上に、仙台支援センターの働きの上に神様の守りがありますように。

仙台教会 長島慎二