2011年7月29日金曜日

[ボラレポ]神さまはいるよ、との声(ボランティアバス)

3月11日以来、主日礼拝ごとの震災の祈りや女性会の活動などを通して被災地ヘの思いが募りました。若い方でなければ迷惑をかけることになるとの思いでしたが、6月20曰にボランティアバスツアーの参加させていただきました。

東北自動車道を福島に人り、行き交う大型輸送車、自衛隊の卜ラックやヘリコプタ一が目に飛び込んで来ました。沿道にはブルーシートに覆われた崩れた瓦屋根や広い空っぽの鶏舎、瓦礫散乱する田畑など、走るほどに災害の大きさを感じました。
津波による女川の惨状、石巻の製紙工場の膨大な被害、形すら定かではない駅を目の当たりにし、失われた人々の尊い命を大切に育んだ家族の絆を思いました。多くの幸をもたらし静かに輝いている海、ゆったりと流れる北上川、それらが一瞬にして荒れ狂い、総てがなめつくされてしまったことに唯々呆然とするばかりです。神様はなんと恐ろしい惨いことをされるのかと思いました。



宿舎の「新富亭」曰本三景の松島を見下ろす大きな立派な老舗旅館、震災当日は二百人以上の避難者を受入れ、現在はボランテイアの人クや復興工事を担う人々を受入れています。

食後の「わかちあい」にはとなりびと支援活動の現地専従スタッフのお一人遠藤優子さんから現状報告をうかがい、被災者の方々と共におられ直接現場で求められている仕事を拾い上げ、となりびとの活勤に提供してくださつていることがわかりました。彼女と翌日出席された専従スタッフの佐藤さんは、ルーテルとなりびとに与えられた神様からの使者のように思いました。

21日、全滅した東松島市野蒜地区を経て、唯一残った宮戸島漁脇の海答加工場へ向かいました。九干万円かけたという機械は、塩水に冠水し、汚泥とほこりにまみれ錆び、海草が付着していました。17名の参加者の内、女性は広い工場床や洗面所の拭き掃除をしました。女性会から集まった新しい雑巾が見る見る黒くなっていきました。男性は側溝の泥を除去清掃。
私達を受入れてくださった工場の所長さん“せっちやん”やス夕ッフの皆さん達と楽しく賑やかに作業させていただきました。

せっちやんは新築三年目で家をなくし避難所生活です。しかし私達の手伝いを感謝してくださり、心づくしの大きな美味しいお握りを振舞って下さいました。
「神様はいるよ、私はそう思うよ」「家や車は又買える」と、力強く復興の決意を述べておられたことに感動しました。真紅の夕日と夕映えの美しい海でした。
震災後100日をキャンドルの灯に思いをこめ、夕ベの祈りを行ないました。

22日、高齢者施設を運営しておられる“すみちやん”の施設に伺い花壇の石ころ除去。お孫さんを抱え津波渦巻く体育館から九死に一生を得たこと、目の前の隣人達の死を見過ごさねぱならなかつた無念さを話してくださいました。
彼女は避難所からの一時掃宅された人々や行政では受け入れられない人々が休める場を提供したいと語っておられました。すみちやんの希望が叶いますようにと祈ります。

ボランティア 村上雅江(板橋教会)