2013年7月1日月曜日

【防災・減災教育】文教大学スタディツアー。20130628・29

 先週の金・土曜日(6/28・29)、文教大学の学生7名と先生1名の計8名がスタディツアーに参加されました。
金曜日の夜はSチーフ・スタッフのレクチャーを受け、翌日の午前中はH先生が種から育てられた花の苗を被災されたお宅の土地にスワン国際の会の皆さんと共にご覧の通り植えました。
 













その後、スワン国際協力の会の代表の方と被災された方々のお話をお聴きしました。






 午後は、石巻市内の被災地訪問と被災者の方のお話。
まずは、石巻市内最大の被災地の南浜へ。


 その後、大川小学校のある大川地区で被災された方のお話を仮設団地の集会所でお聴きし、大川小学校を訪問しました。




二泊三日のスタディツアーでしたが、参加者の皆さんはそれぞれ深い学びをされて東京に戻られました。












後日、参加者の方から以下の通り感想文が届きましたのでご紹介します。(野口)


【国際学部国際理解学科3年Oさん】
今回のスタディーツアーに参加しての感じたことは様々あります。実際に現地を訪問するまでは首都圏では自分があまりテレビを観ないということもあるかもしれませんがほとんど被災地のニュースは流れることはなくきっと復興は比較的終わっているのではないか?と思っていました。 しかし今回実際に石巻を訪れると大きな瓦礫は撤去されていましたが、まだ津波の被害を受けた建物も残っており、まだ震災の爪痕は残っているのだと実際に訪れ感じることが出来ました。今回は被災された方々のお話を伺う機会もいただきました。花植えの作業を共にやったみなさんはもちろん仮説住宅でお話をしてくださったK先生、急にお部屋に訪問しても温かく私たちを迎え入れてくれた狩野先生の奥様、様々な方々との出会いがありました。決して言葉にしたくないことや、思い出したくないこともあったのではないかとおもいます。そういった中でスタディーツアーに参加した我々に話してくれたことは決して忘れては行けませんし、今回参加しなかった友人や家族、他にも周りの人々に今回の経験を共有して行かなければならないと思いました。日本人は過去の物事を忘れやすいといった国民性があるそうです。日本で暮らしていく上で自然災害と共存する必要があります。被災された方々のお話にもありましたがいつ自分が被災するかわかりません、今回の震災で終わりなのではなく、今回貴重なお話をしてくださった皆さんをはじめ今回の震災で被害にあった方々の犠牲を無駄にしない為にも今回の震災を風化させずに次に繋げていけるように周りにシェアしていく必要を感じました3日間という短い時間でしたが貴重な体験や出会いがありました。ありがとうございます。
国際学部国際理解学科3年Kさん】
今回、スタディーツアーを経て、わたしの防災意識が確実に高まりました。JENのスタッフとしてユーゴスラビアでの経験を話してくださったTさんより、“人間力”というキーワードをもらい、より明確に考えることが出来たと思っております。少し、時系列で振り返ってみたいと思います。まず、初めに事前学習を教会にて行いました。私は遅れて到着したため、途中から聞いたのですが、かなりシビアなことを考えました。ずっと、言われ続けてきた宮城県沖地震がきたと。逃げた人と逃げなかった人。逃げたのに助からなかった方々。防災や危機管理という点での個人・行政側の問題。実際に震災が発生した後のさまざまな問題点。さらに今回の震災には生かされた、阪神淡路大震災での教訓。きちんとした知識が得られ、問題点の重大さに気づけたと思います。翌朝、移動中に、野蒜や大曲など見せていただきました。原っぱのようなさら地のところから見える家の土台に言葉がなくなりました。花植え作業を経て、Tさんのお話をお伺いしました。“人間力”という言葉が表したように、たくさんの個々の能力が必要な日々だったようです。また、一緒に作業をした地元の方から聞いた、要介護者と介護をするわたしたちに一番最初にきた食べ物がたくあんだったという言葉で本当の意味で地域格差がこのころからあったと思いました。お昼ご飯を食べ、元校長先生のお話をお伺いに仮設住宅へ向かいました。実際の津波体験をありのままに語ってくださったようです。また実際の住宅も見せていただきました。故郷への思いに、津波てんでんこという考え方。津波によって一転してしまった生活にわたしはむなしさを感じました。大川小学校の見学もしました。ここではたくさんの児童が犠牲になっていること。津波が来るまでの時間。高いところすら津波が到達したこと。しかし、これはすべて結果論であって、想定されていない大津波だったこと。どんなに議論したって、あがいたって児童たちはもう帰ってこない。わたしは栃木・海なし県出身です。小中学校時代の避難訓練はもっぱら、火災と地震でした。津波がここまで残虐なものだと知ったのはまさに3.11でした。今回、最近の被災地の状況を知ることができたと思います。だんだんと震災関連の報道が減り、都市部では完全に3.11を過去として見ているのではないかと、疑問と怒りがとつとつとわいてきました。自分たちの身にいつ降りかかってくるかわからないこういった震災にきちんと向き合っていける人間力を身に付けたいと思いました。お話を聞かせてくださった、Tさん、元校長先生、一緒に花植えを行った方々、そして宿泊場所と提供し、このツアーをお手伝いしてくださったルーテル教会の方に感謝します。ありがとうございました。
国際学部国際理解学科3年Iさん】
2013年6月28日・29日に私は石巻において震災に関するスタディーツアーへと参加した。それより以前に3回(2011年に2回、2012年に1回)ほどボランティアという形で石巻を尋ねたことがある私だが、今回はその3回では経験できなかったことを経験したと考えている。そしてそれに基づいて私が何を考えたのか、以下にまとめていきたいと思う。今回のスタディーツアーが他3回と比べて何が異なっていたのかというと、ボランティアがメインなのではなく学習しにいったということだろう。他3回ではあくまでもその時現地で必要とされていた作業をやる(その中にも学びはあった。)ことが中心であり、被災者の方々との関わりはあったもののあれほどまで衝撃的かつ深いお話を聞く機会はなかったし、ましてや自ら尋ねることなどできなかった(他3回に比べ被災者の方々が心の整理をなされていたのでそれができたのかもしれない。ただ傷は完全に癒えず、残り続けていることも実感した)。また震災から2年と少しがたち、進む調査などのおかげで情報(起きた出来事)の明確化されてきているので、新たに学ばせていただけることが多かった。特に私たちが見学した被災地地域では、海に背を向けて少し高台を登れば少なくとも人体だけは津波の被害に合わずに済んだかもしれないケースが多かったことに驚かされた。実際に、被災場所と被害に合わずに済んだであろう場所の位置関係をこの目で見ると、その生死を分けるに至る避難の容易さに気が付き言葉では表せないやるせない気持ちになった。確かに被災された方々も常日頃から防災訓練をされていた。しかしその訓練以上のこと(それこそ想定外)が起きてしまったのである。震災への対策、あるいは実際に震災が起きたときには注意深くもっとも最悪のケースを考えて行動しなければいけないと実感した。(この時には集団心理にも気を付けていかなければならない。)また、被災者の方々のお話の中から見えてきたことも多かった。一つ目に、避難生活や仮設住宅生活などが、当事者に生活の制限など、もとの生活に比べて苦しいことを強いてしまうのはある意味で避けざるを得ないことだと感じた。(それは一度普段の生活を失ってしまっているのだからである。)しかし、解決できる問題点というのも多く、改善が図られまた次の時に向けて活かしていかなければならないと思った。2つ目に、自分のことを自分自身で守ることの大切さ。つまり、「人間力」の大切さである。震災が起きた際の公共機関による救助(警察、消防、自衛隊など)は最短でも2日はかかってしまう場合が多い。特に救助が困難なケースではそれ以上かかることももちろんある。その間、自分のことを自分自身で守る必要性が必ずでてくる。また「津波てんてんこ」という方言(地震が起きたら津波がくるから、身一つでとにかく海から逃げなさいという意)もあるがこれも自分の身は自分でというメッセージが含まれている。その時に役立つのが「人間力」である。「人間力」を身に付けるのは難しいことなのかもしれないが、普段の生活の中からそのヒントを得ることができると私は考えている。そしてそれは前述の最悪のケースを想定した行動に関係する。
【国際学部国際理解学科3年Wさん】
私は、2011年3月11日から約2年たった今の状況で私たちは何をできるのか、支援が被災者のニーズを満たしていたかを学ぶことを目的に、このスタディーツアーに参加した。このツアーでは、石巻の各地を巡って、いまだに津波の傷跡の残る大川小学校や幸いにも仮設住宅の中の様子などを見ることができた。それだけではなく、被災した石巻の現状やなかなか聞くことができない(聞くことをためらう)お話を聞き、物質的な被害だけではなく、心への負荷の甚大さを感じた。特に、Kさん夫妻の津波への恐怖や友人を失った悲しみなどの生の声を聴いた時は、私は涙をこらえることに必死であった。このような貴重な経験ができたのは、宿泊施設を提供し、現地の案内をしてくださったルーテル教会のスタッフや、話すに堪えがたい被災の実体験を語ってくださり、仮設住宅の室内を見せていただいた狩野さん夫妻のおかげである。スタディーツアーにご協力いただいたこと、あらためて感謝します。さて、このスタディーツアーで私は、この経験を次に起こりうる地震災害つなげていくことの必要があると感じた。日本は地震大国であり、特に、数十年後には、関東圏において大地震が起こる可能性が非常に高いと言われている。そのことから、現在関東に住む私たちも大震災や津波の危険性からは逃れることはできない。実際に石巻に訪れて、震災時に必要な支援の在り方や見習うべきことがみえてきた。特に、Kさんのお話を聞いていて、避難所に住む人々のニーズに対応していなかったことが判明した。あまりにも食事の栄養バランスが偏っていたようで、実際にKさんも病気を患った。このような点から、避難所における被災者のニーズに向き合った支援を考えていくことに気付いた。また、石巻専修大学が東日本大震災後に大きな役割を果たしていた。石巻専修大学は、ボランティア・センターのように、支援に来たボランティア団体や人々に、必要とされている仕事を割り振り、そして、避難所としての役割を果たした。私たちの文教大学も地形的に海から遠いことから、関東圏で起きうる地震にどのように対応するための参考資料として、石巻専修大学はとても模範的であると言える。
【国際学部国際理解学科3年Yさん】
私は被災地に行くのが今回初めてでした。TVや新聞などで知る情報と、自分の目で見る情報とでは重みが違い、実際に被災した方々の話を直接聞き様々なことを考えさせられました。“亡くならずに済んだ人々がたくさん亡くなっている”と何人かの方がおっしゃっていましたが、人間の感覚・判断力・想定力ほど曖昧なものはないと思いました。逃げなかった人々はまさか大きな津波が来るなんて思っていなかったという人々がほとんどなのでしょう。こういった自然災害の時だけではなく、日常でも自分の感覚で“大丈夫だろう”と決めつけ判断することはあります。その癖がついていると、こういった災害の際にも判断力が鈍ってしまうのかもしれません。最悪の場合を想定して行動しなければならないと実感しました。そして避難所での支援のお話や、支援された方々のお話を聞き支援の形、あり方について考えました。Y先生の授業でも“与えるだけの支援では依存の体制をつくりあげる”ということを1年生の頃から講義で聞いていました。授業ではアフリカなどの国を対象に考えることが多かったので、こんな身近な日本の中で支援に対する問題があることに目を向けることが出来ていなかった自分がいたことを感じました。支援物資(古着・絵本・おもちゃ)などの状態の悪さが被災者の方を余計に悲しませてしまったり、一部のボランティアの人々の自己満足的な考え方が余計に被災者を苦しめる結果になってしまったりした事実があることを多くの人に認識してもらう必要があると思いました。ボランティアに自分の理想や価値観は必要がなく、現場で何が求められているのか、ニーズに合う支援の大切さ、それを継続的に行わなければ意味がありません。仮設住宅でK先生のお話を聞き、K先生宅へ伺わせていただきましたが、仮設住宅内の圧迫感は想像を超えるものでした。K先生の奥様のお話も伺うことができましたが、被災した家やK先生の家に対する思いなど話してくださいました。そして私たちが帰る際に、名残惜しそうに“昔の話をしたくなる”とおっしゃっていました。その言葉が忘れられません。被災者の人々は、大切な人、家や仕事、たくさんの物をこの震災で失ってしまったと思います。そういった悲しみを抱えた人々の集まる仮設住宅の中で、本当は聞いてほしいのに…ということを口に出せず、自分の中に飲み込みストレスを感じていたのかもしれません。私たちの様な、離れた人間になら話せることもたくさんあるのだと感じました。最後に握手しながら“また絶対に会いに来て、本当にありがとう”とおっしゃって下さいました。その握手の強さはこれから忘れられないと思います。今私にできることは本当に小さなことかもしれません。この話を周りの人へ伝えていくこと、何か起きたらそれに対応できる人間力を身に着けることやもう一度支援の方法を考えること。そして何より、現場に出向くことだと思いました。ルーテル教会の方々にも貴重なお話を聞くことができ、お世話になりました。野口さんに被災地を一緒に回って頂けて、お話を聞け、スタディーツアーに参加することができ本当に良かったです。ありがとうございました。このように、東日本大震災の跡をたどるスタディーツアーとして、次の災害につなげていくようなモデルを学び取ることができた。また、現在でも仮設住宅の心のケアーや地域のコミュニティーの必要性である。東日本大震災から学び取ることができることを参考にし、自分たちの身の回りの生活と照らし合わせて、積極的に震災について考えていきたい。
 
【国際学部国際理解学科2年Sさん】
 
6月28日から30日までの被災地スタディーツアーは、実際の活動は1日と短い時間でしたが、考えさせられることが多く、とても内容の濃いものでした。今まで何度か福地地区にはボランティアに行かせていただいていましたが、その中で被災者の方にお話を聞く機会はあまりありませんでした。今回はたくさんの方の生の声を聞き、たくさんの思いを身にしみて感じました。また被災されたいろいろな地区を実際に見て、その光景を目に焼き付けて帰ってこられたことは自分にとって大変大きなものでした。どれも印象に強く残ることばかりでしたが、今回のスタディーツアーの中で一番印象に残っているのは、活動中に震災当時の話や私たちの支援のあり方を被災されたSさんにお話いただけたことです。このことは私の支援のあり方に対する考え方を変えるものでした。私は今まで被災者の方に震災の話をするのは辛い経験を思い出させてしまうから聞かないようにしたほうがいいと思っていて、そのあたりの兼ね合いや距離の取り方がわかりませんでした。そこで、実際はどうあってほしいのか聞いてみたところ、「辛いけれども、なんとか生き残ることができたのだから、話してそれを生きる糧にしていった方がいい」「聞いてほしいときは話を聞くよ、というスタンスで」「辛い思い出を話した後に楽しいことを一緒にできたらいいね」とおっしゃっていて、その言葉を聞いてこれから自分がどう支援できるか、自分なりの考えが明確になりました。寄り添う形で、当時の経験を糧に一緒に強く生きていけるような支援をするために何をするべきなのか、考えをより深めて実行に移せるようにしたいと考えています。今回、私たちがまずしなくてはいけないと思ったことが3つあります。1つ目は、震災のことをきちんと学び、考え、次に備えることです。これから先生きていく私たちに、同じことがいつ起こってもおかしくありません。同じ様な状況がいつ自分の身の回りで起こるかわからないので、そのときのために備えることが必要です。そのためには今回のことをちゃんと把握しておくこと、またそうなったときのために生き残る知恵が必要です。2つ目は震災の記憶を風化させないことです。2年経った今でも、震災からの復興は十分にできているとは言えません。震災を忘れないこと、現状を知ること、そしてそれを伝えていくことは、できる支援の一つです。今回のスタディーツアーは、本当に貴重な経験でした。この経験をたくさんの人に伝え、忘れないようにしていきたいと思います。貴重な体験をさせていただき、本当にありがとうございました。