2011年6月24日金曜日

長島さんレポート110624わたしのとなりびと

 先日、近畿福音ルーテル教会の杉岡牧師が「拒否される心のケア…被災者、質問に辟易」というタイトルの記事を紹介してくださいました。
となりびとになることの難しさを感じます。
 このブログで話すのは初めてと思いますが、わたしの亡くなった兄は重度の精神薄弱児でした。白い眼で見られる存在でしたが美しい心の持ち主でした。わたしは、この兄の故に人を憎みましたが、キリストを知るにいたって、わたしが憎んでいたのは自分自身であったことを悟ったのでした。わたしをキリストに導いたのは、この世では何の役にも立たないと思われていた兄であったのです。今では、兄は、わたしの前に現れたキリストであったと思っています。
 わたし自身にとって、理想のとなりびとはキリストです。何でも話しができるでしょうね。ですから、わたしもキリストのようになりたいと思います。わたしの前に現れたキリストのようにです。この世では全く無力で何の役にも立たないと思われる者にです。
 いまさっき、富山にいる従姉妹から電話がありました。被災地のために何かをしたいけど何をしたらい いかわからないと言っていました。その気持ちだけでもありがたいことです。
 被災地に居ながら、何もできないでいることを申し訳なく思っています。仙台教会では、多くのボランティアのみなさんががんばっています。感謝するとともに誇りに思います。みなさんも、現場で、多くの方のとなりびとになっていらっしゃることと思います。それぞれができる範囲で、無理をしないで働いてください。みなさん自身のとなりにもキリストがいることを共に喜びましょう。

長島慎二