2011年8月6日土曜日

[ボラレポ]生きる偶然

 被災者は「生死の境目はどこにあったのか」「あの人が犠牲になって私が生き残るなんて」という自問を心の奥深いところに抱えておられます。アルバムで過去を振り返るときは必ずそのページを見ないとそれより遠いところへたどり着かないように。

被災当時のことをお聞きするのは、その見たくはないページを無理に開かせることになるのかもしれないという体験をしました。2件のボランティア支援は、一般家屋の泥出し・家財選別廃棄と保育所の草引きでした。

 一般家庭の家主は50代の女性、当日は一晩中車の屋根の上で漂流して寒さと心細さに震えていたし、自宅にやっと戻ると多くのご遺体がまだ周辺にあったということでした。お一人だけで作業をしなければならない状況も加わって「こんなことなら死んでしまったほうがよかった」と何度も口にされました。
 

 保育所の女性所長さんに作業を終えてからお聞きすると、津波の来た状況と4名だけ親が迎えにこられずスタッフと1階建屋内の高いところに避難して毛布を持ってきて暖をとったこと、窓のそとを何かにつかまりながら流されてゆく人にがんばってと声をかけることしかできなかったこと、翌朝に消防団が船で助けに来てくれたことまで冷静に説明されました。
 
 ただ一人、犠牲になった園児のことに及ぶととても元気な子供で、だっこすると私の鼻の横にあるイボをさわっては先生これなぁにといつも聞いていた人なつっこい子でしたと詰まりながら目に涙をうかべておられました。

悲しい思い出や過酷な体験で心にブラックホールのようにすべての感情を吸い込んでしまう淵をもっている人に接する難しさを痛感しました。被災者の方々が具体的な目標をみつけて未来に向かって力強く生きて行かれることをお祈りしています。機会があればまたボランティアに参加したいと思います。

スタッフの皆さんには大変お世話になりました、共同作業したボランティアの皆さんとは特別で心に残る出会いでした、感謝です。
 ボランティア 外山純(西神教会)