2011年9月20日火曜日

[被災地教会から]大震災後半年を迎えて

 「大震災後半年を迎えて」 長島慎二(仙台教会)

 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」(日本聖書協会『新共同訳新約聖書』  ヨハネによる福音書十四章一節から四節)

 十九年前に息子の一人を失ってより、何度、独り部屋に閉じこもって前掲のみことばを読み、泣いたことでしょう。みことばのリアリティーは、受け入れがたい現実を前にしたときに強く迫って来るものなのでしょう。大震災を経て、時間を戻すことができないことに苦しむ人々を前にして、みことばを通して約束された将来に対する希望が与えられることを切に願います。

 ルーテルとなりびとを通してなされる活動が、みことばのリアリティーに裏打ちされた働きであるべきとすれば、その最前線で、実際に被災者とのつながりを持ちながら、ボランティア活動に勤しむみなさんを導くために、ふたりの牧師が派遣されたことは第一に必要なことであったでしょう。

 伊藤牧師と立野牧師の派遣期間が、先週末を持って区切りを迎えました。後任がなかなか決まらないというニュースを受けながら、わたしのほうからお二人に申し込んで、お話を伺いました。お二人とも、公共交通機関も回復しておらず仙台教会の環境も整わない中で、ある意味では危険を伴う現場に入り、実際のボランティア活動をはじめ、ルーテルとなりびとの環境改善、ボランティア活動のマネジメント、被災者のみなさんとのコミュニケーションの確立、ボランティア活動の広報活動などを担って来られました。現地の教会員として深く感謝するものです。なによりも気がかりであったことは、おふたりの健康とご家族のことでした。無理をさせてしまったことを申し訳なく思っています。

 一方で、被災地で苦しむ人々を目の当たりにして、今後のルーテルとなりびとの働きについて、また、強い絆をつくりながらも、絆を引き継ぐ時間を持つことができないまま現地を離れなければいけなかったことについて深い憂慮を示されました。現地の教会員として、わたしも全く同じ気持ちです。教会の業として、隣人となるべき活動において、派遣牧師が途切れてしまったことについては、人事的な困難さも理解できるなかで残念なことです。

 これは、仙台教会、鶴ヶ谷教会の藤井牧師ともども個人的な希望の範囲を超えるものではありませんが、少なくとも最も厳しいときを働き、被災地の状況を全身で受け止められた伊藤牧師と立野牧師に、どのようなかたちになるべきかは別として、引き続きルーテルとなりびとの働きに関わりをもっていただき、後任への引き継ぎをお願いしたいと願っています。

 なお、これまで大きな犠牲を伴いながらも、ボランティア活動に携わっていただいた方々に、こころから感謝をいたします。ありがとうございました。

仙台教会 長島慎二

P.S. 渡邉先生を始め、救援活動の本部スタッフの先生方にお願いがあります。予算措置が許すならば、ルーテルとなりびとの活動を記録するための写真や動画撮影および記事を担当する専門スタッフを置くべきと思います。これまでは、立野先生などが夜遅くに、ボランティア活動から帰ってきてからブログに情報発信をしていた状況です。今回の大震災および、救援活動の記録は将来にわたってルーテル教会の極めて貴重な記録になるでしょう。ご検討願えれば幸いです。このようなブログで言い過ぎがありましたらお許しください。