この1週間の働きが主によって守られましたことを感謝いたします。また、多くの方の祈りに支えられ、無事帰路に着くことができましたことを感謝し、お礼申し上げます。
3月11日14:46 大きな地震が起こりました。大阪にいて、仕事中車を運転していた私にもその揺れは感じることができました。阪神淡路大震災を思い起こさせるようなその揺れに、どこかで大きな地震が起きたのではないか?と直感しました。
地震と津波による被害は、関東・東北地方の沿岸部に広範囲にわたって広がり、ほんとに多くの方が命を失い、恐怖と不安に日本中を陥れました。震災の後、私は、看護師として現地へ赴きたいと思いました。けれど、すぐに動くことはできませんでした。しばらく、悶々とした日々を過ごしていました。1カ月経って、私の勤務している訪問看護ステーションが所属している病院から被災地派遣の話がありました。私も手を挙げましたが、今回は、外科経験の豊富な方をということで断念しました。それからも、何ができるだろうとずっと考え続け、東北へ行けるタイミングを待っていました。私は、ボランティアで行くなら、看護師として入ろうと思っていました。けれど、何かひっかかるものを感じていました。そんな時、となりびとのことをHPで知りました。そうか、私は、クリスチャンとして、ひとりのとなりびととして行くべきなのだと思い、職を離れて、一人の人として、自分にできることをさせてもらおうと、となりびとへの参加を希望しました。
今、1週間の活動を終えて、この導きに感謝し、となりびととして、微力ではありますが、働かせて戴けたことに喜びを感じています。お世話になった現地スタッフの方々、ボランティアの方々、ありがとうございました。送りだして下さった教会の牧師先生、教会員の方々、長期のお休みを戴いた職場の方々に感謝いたします。これからも、この働きが、関東・東北地方の復興への架け橋となり、人々の心に希望の光を照らすことができますようにと、お祈りいたします。
9月19日(月)
曇り空の大阪を出発し、東京を経由して新幹線で仙台へ。初めて訪れた東北地方。仙台は、とてもきれいな良い所だと聞いていて、いつか行ってみたいと思いながら、こういう形で来ることになるとは、夢にも思いませんでした。仙台駅に着くと、そこには、何も変わらない日常がありました。家族連れで買い物をしている人たち、学校の帰りなのか?友達とお茶をしながら、にこやかにおしゃべりしている学生さん・・・ここが大地震に遭ったところだとは思えないほど、町は穏やかな印象でした。
お伝えしていた時間よりも早く着いてしまい、教会へ行くと、どなたもいらっしゃらず、また、仙台駅へ戻り、喫茶店でお茶をして、再び教会へ。少し緊張しながら玄関を開けて入っていくと、スタッフの方が1人戻ってきて、待っていて下さいました。他の方たちは、まだ戻っておられないとのこと。いつも帰ってこられるのは、19:00~19:30くらいで、それよりも遅くなることもあると聴き、毎日慌ただしく働いておられるのがよくわかりました。中のことを少しオリエンテーションして戴き、早速キッチンに入りました。スタッフの方が、ごはんとお味噌汁の用意を頼まれていたらしく、ご飯をしかけてくださったので、私は、お味噌汁を作ることにしました。着いたばかりで、何がどこにあるのかもわからないまま台所に立っていると、他のスタッフの方やボランティアの方が帰ってこられて、一緒に夕飯作りをして、みんなで夕食を戴きました。ボランティアで仕事をして帰ってきて、それから食事の準備、明日の段取り、分かち合い(今日の活動の報告と明日の打ち合わせの時間)・・・遅くまでいろいろ支度をして就寝。みなさんの働きに頭の下がる思いでした。
この日は、1人、牧師先生がディアコニアセミナーのために千葉から来られていて、いろいろお話を伺うことができて、分かち合いの時間も、豊かなものとなりました。
9月20日(火)
翌朝、1人のスタッフの方と、3週間ボランティアとして滞在しておられる方が、石巻にあるボランティアセンターの受付業務をするために6:30に出かけて行かれました。その時間に出ないと、道路がとても渋滞するのだそうです。(震災以降、道路の渋滞はひどいようです。)夕べも就寝されたのが、12時を過ぎていたのに・・・。
この日は、私を入れて4人で東松島、南三陸町を経由して、登米(米どころだそうです。)という町へ、貸していた車を返してもらいに行くというお仕事をさせて戴きました。そのついでに、現地視察をして来てくださいと、スタッフの方に震災の現場を案内して戴きました。一緒に同行された1人の方は、ご自分も被災され、今は、仙台市内に住んでいると話して下さいました。被災した時、教会の方によくして戴いたので、自分も何かお手伝いをさせてもらえたらと思い、となりびとの支援活動に参加していると言われていました。車の中でお話をしていて、自分は、被災地に残るのが苦しくて、逃げて仙台へ来たのだと、心の内を証して下さいました。自分が生まれ育った故郷が、見るも無残な姿になってしまった現実から逃げているのだと。何も返す言葉もなく、ただその方の言葉に耳を傾けるだけでした。現地には、こういう方がたくさんおられて、いろんな思いを抱えながら、復興に向けて何ができるのか?自分たちが生きるために、震災以降、必死にずっと頑張っておられるのだと思うと、外から来た私に何ができるのだろう?たった1週間という短い時間で、何をすればいいのか?と、考えさせられ、自分がほんとに無力だということを痛感しました。と同時に、主がこの人たちお一人お一人を守り、希望の光を与えて下さるように、何もできない私だけれど、せめて、毎日祈り続けていこうと、改めて思ったのでした。
東松島も南三陸も、がれきは、ほとんど片づけられていて、一見、街は、整然としていましたが、津波の傷跡は、至る所にまだまだ残っていて、復興などという言葉は、程遠いもののように感じてしまうほど、すさまじい光景が半年経った今でも目の前に広がっていました。現地へ行ったら、写真を撮らせてもらおうとカメラを持っていましたが、この日は、シャッターを切ることができませんでした。スタッフの人が、ご自分も聴かれたこの辺の状況をいろいろと話して下さり、本当に多くの方の命が落とされたことを思うと、胸が痛くなりました。
貸していた車を取りにいくというボランティア初仕事は、ドキドキの連続でした。登米から仙台市内までを運転しながら帰ってくるのですが、道が全くわからないので、先導してもらっているスタッフの人の車を見失わないように必死に着いていきました。仙台市内に入ると、車の量も増え、車線も多くなるので、余計に緊張感が増しましたが、何とか無事に車を返却し、教会へ戻ることができました。
教会へ戻ると、今日のお仕事は終了ということで、ボランティアに来られていた別の教会の方と、仙台市内へ。スタッフの方が、仙台の商店街は、とてもきれいだから見てきたらいいよと言われ、見に行ってみようということになりました。商店街の中に木が植えられていて、緑がきれいで、言われた通り、きれいな商店街でした。仙台の街は、とても大きくて、他の大都市に比べて、何かとてもいい空気が漂っているところだなぁと感じました。この日は、夕食準備をすることになっていたので、近くのスーパーで買い物をして帰り、9人分の食事を用意し始めたのですが、普段そんな大人数の食事を用意する機会がないので、さて、どうしようか?と考えながら、とりあえずご飯を炊いて、お味噌汁を作って用意をしていると、同じ関西からボランティアの方が一人来られて、来て早々でしたが、一緒にキッチンに入ってくださり、無事に9人分のおいしい食事が出来上がりました。
この日は、北海道から牧師先生が来られ、分かち合いの時が豊かな時間となりました。
9月21日(水)
気仙沼へバザーに出す品物の仕分け作業に出かけました。気仙沼は、宮城県の一番北にあり、もう少し行けば、岩手県に入ります。車で3時間かけて、しかも、この日は台風15号が近づいて来ていたので、ずっと雨が降っていました。ルーテルの支援拠点は、仙台市内と東松島市、気仙沼、石巻にあるそうで、その3か所を中心に支援活動をしておられます。そのうちの一つ、気仙沼の本吉町前浜地区というところの仮設住宅があるすぐ隣に事務所が置かれていました。そこを任されているスタッフの方もご自分は、直接被災されていませんが、気仙沼出身の方で、ご家族(お父様)を津波で亡くされ、お母様は仮設におられるという状況の中、そんなことを少しも感じさせない明るさで、周囲の方を思いやり、地元の人たちのためにどうしたら仕事(働く場所)を作り出せるか?と、日々奔走しておられました。
私たちが来訪すると、また別のボランティアさんたちが、私たちの食事を用意して下さっていて、こうしてみんなで支えあって、助けあって、人は生きていけるのだということを感じました。
東北のお年寄りの方や、年配の方たちは、おじゃっこ会というお茶飲み会をよくされるのだそうです。その会を催して、仮設の人たちを招待して、全国から送られてきた衣類を持って帰ってもらうバザーの企画をされていました。その時に出す服の仕分け作業を、仮設の集会場をお借りしてさせて戴きました。集会場なので、仮設といってもとても広くてきれいなところでした。仮設住宅もいろいろなところに建てられているのを見ましたが、いろんなタイプのものがあるようで、ここの仮設は、玄関の前にそれぞれウッドデッキを備え付けておられ、植木や花を育てておられるお家が多くありました。プレハブだけの殺風景な仮設のイメージと違って、花や緑を見ていると、心が癒され、元気になっていいなぁと思いました。
バザーの品物の段ボールが、別の倉庫に山のように積んであって、それを集会場へ移動させるところから作業は始まりました。みんなでバケツリレーの要領で運び出し、また同じように集会場のお部屋に入れて、そこから仕分け作業に入りました。少し始めた頃に、お昼ごはんができましたということで、事務所に戻り、みんなでカレーライスを戴きました。
東京から来られて、ずっとこの地区の仮設の設置などに支援者として関わっておられる方、ここの地区のお世話をされている地元の漁師さん、お2人とも一緒に食事をしながら、いろいろお話を伺いました。
これから、仕事づくりをしていかなければいけない。被災された方々が、生活の糧を得る手段を考え、支援していくしくみを作り、復興につなげていくこと。この震災の体験が風化されないように、1000年プロジェクトとして、津波に遭った海岸線沿いに、津波が来たという印を刻み、それぞれの思いを刻んでオブジェのようなものをつくり、後世に残していこうということなどが考えられていると話して下さいました。最近ネット上で話題になっている「漁師さんのハンモック」を作っておられる方が一緒に食事をしていた方だと知ってびっくり!?ハンモックにも寝かせて戴きましたが、とっても寝心地が良かったです。送料込10,000円。現在300人以上の方が予約されていて、商品の発送待ちだとお聴きしました。こういう企画がたくさん生まれて、うまくビジネスにつながって、仕事が増えていけばいいなぁと思います。
昼食を終えて、再び仕分け作業に。段ボールを一つ一つ開けると、全国の方からの思いが込められた、きれいな衣類がぎっしり。かわいい子供服が多く、この服が子どもたちの笑顔につながってくれればいいなぁと心からお祈りしています。*おじゃっこ会は24日に行われました。その模様は、ルーテルとなりびとのブログやツイッターで紹介されていますので、ぜひ、ご覧下さい。
気仙沼での作業を終えて、帰路に着く前に、気仙沼の町の中をスタッフの方が案内してくださいました。台風が近づいていたため、雨がずっと降っていました。気仙沼は、まだ津波の爪痕がそのまま至る所に痛々しく残っていて、他の街と比べて、復興作業がなかなか進んでいない印象を受けました。それでも、港には多くの漁船が集まり、漁協も動いていて、もとの活気ある港の姿を取り戻すために、復興に向けて、みなさんがんばっておられるんだなぁと思うと、胸が熱くなりました。震災前は、もっと多くの漁船が港に着いていて、漁協では、活気あるせりが毎日行われ、ほんとににぎやかな漁師町だったのだろうなぁと想像し、早くまたそういう漁港に戻ることができるように願いました。
気仙沼からの帰りは、ちょうど台風15号が関東、東北地方へ向かって来ている最中で、大雨と強い風の中を2台の車で教会へ向かって帰ってきました。途中雨で高速が通行止めだったりしましたが、何とか無事に守られて、帰路に着くことができました。
この日の夜の分かち合いには、北海道から来られた牧師先生も加わって戴き、スタッフの方が、今どんな思いで活動され、何を困っているのか?私たちは、どんな支援を続けて行けばいいのか?ということが話し合われました。スタッフは、とにかく人手不足、ボランティアさんにも来てもらいたいが、牧師先生たちに現地を見に来てもらって、現地の様子を各教会の人たちに伝えてもらい、被災地のことを知ってもらいたいと言われていました。被災地の方々は、自分たちのことが忘れられて、この震災が風化されていくことを悲しんでおられるし、もっと自分たちのことを知ってほしいと、思っておられるのだと、一人のスタッフの方は言われました。実際に見に来てもらって、その状況を牧師先生自身が、教会で伝えて下されば、教会員にもっと現状が伝わり、ボランティアに参加して下さる方、現地を見に来て下さる方が増えるのではないか?・・・4つの団体の牧師先生が、交代で現地に入れるような仕組みを作れないものか・・・そんな話し合いが、この日、スタッフとボランティアで持たれたことは、これから、このプロジェクトが進められていく中で、大切なことだと思いました。私は、一人の信徒として、いろいろな事情があるにせよ、このプロジェクトを継続させるために、ルーテル教会の牧師先生たちが積極的に関わって戴いて、動いて戴ければ、信徒も協力して、もっと多くのことが実現していくのではないか?と感じました。
9月22日(木)
東松島にある「すみちゃんの家」を運営されている方の息子さんが施設長をしておられる、老人施設「はまなすの里」の敷地の前に、野蒜小学校の仮設が造られるということで、フェンス沿いの草取り作業をしてほしいという依頼があり、作業にやってきました。台風も通り過ぎ、晴れのいいお天気になるかと思いきや、この日、宮城県だけが、なぜか?雨マーク。今にも降り出しそうな黒い雲を見ながら、6人で作業を開始。男性陣は、黙々と、機械を使っての草刈り作業。女性陣は、フェンス沿いの草取りをしながら、お互いの教会の様子や、プライベートな話に花が咲き、おしゃべりしながらの楽しい作業となりました。小雨も降っていたのと、早く帰られる方、用事で戻られる方がいて、午前中は、早めに切り上げました。昼食を戴いて、午後からも、さぁ、頑張りましょうと作業を始めると、雨が急に激しくなり、作業中断。施設の玄関前で、雨宿りをさせて戴いていると、施設長さんが出てこられて、3月11日当日のこのあたりの様子を語ってくださいました。この施設は、幸い守られ、津波にも呑まれなかったのですが、すぐそこの田んぼのところまで水が来ていたと話して下さいました。そして、3日間備蓄してあった食料や水で何とか耐え忍んだそうです。お米は、おかゆにして量を増やして、分けあって食べられたそうです。3日目以降になって、ようやく、食糧や物資が届き始めたのですが、やはり高齢者の方にとっては、過酷な日々だったのでしょう。何人かの方が、お亡くなりになられたそうです。施設内で、巡回中に息を引き取っておられた・・・ということもあったそうです。施設長さんは、ご自分の教訓から、3日頑張れば何とかなるということがよくわかりましたと、何度も言っておられました。私は、そのお話をお聴きしながら、その3日間がどれだけ長く、不安だっただろうと想像していました。
お話をお聴きしていると、雨も少し小降りになり、作業を再開。フェンスにからまった蔓を外していく作業は、思ったより、力も手間もいり、いつも公園や、道沿いの草取りをして下さっている方々のご苦労と、きれいにして下さっていることへの感謝の気持ちが、自然と湧きあがってきました。何でもそうですが、自分がやってみて初めてわかるのですね。
午後は、女性2人男性2人での作業となりました。女性2人でいろいろ話しながらの作業の時間は、あっという間でした。同じ関西から来られた方だったので、お話しもしやすく、楽しく作業させて戴けたことに感謝です。ある程度の切りのいいところで作業を終え、帰る支度をし、施設の中で少し休憩をさせて戴いていると、壁に貼られた防災マップが目に入りました。震災前のものでした。施設長さんが来られ、「こんなの何の役にも立たなかったですね。」と、苦笑いしておられました。津波は、思わぬ方向から押し寄せ、あっという間にすべてを奪い去っていったのです。津波が呑み込んだ土地の範囲を地図を見ながら教えて戴いて、本当に背筋が凍る思いとはこのことだと思いました。施設長さんの娘さんがちょうど学校から帰って来ていて、施設の中で、本を読んで座っていました。この娘さんの通っていた学校の下校時間は、14:50。地震が来た14:46には、まだ子どもたちは、学校にいました。一人の先生が地震のあとすぐに車のテレビで津波が来ることを確認し、子どもたちを下校させずにすぐに高い所へ避難させたことで全員助かったのだそうです。地震が、あと4分遅ければ、子どもたちは下校し、大惨事となるところだった。先生の機転と対応のおかげで、うちの子たちは助かった。先生には本当に感謝していると、親としての思いを語って下さいました。施設長さんからたくさんの大切なお話を聴かせて戴いて、本当に感謝の思いで、教会までの帰路に着きました。
その日の夜は、ボランティアとスタッフの方で、スーパー銭湯へ。雨の中の作業だったので、冷えた体を温かいお風呂に入って癒そうと、みんなで出かけていきました。とても広くてきれいなお風呂にみんな満足し、心も体も温まった一日でした。
9月23日(金)
今日は、石巻のボランティアセンター(以下、石巻VC)を通じての作業の日。まずは、石巻VCへ。受付業務をされる方は、朝早く出発しないといけないので、前の日から、朝ご飯とお昼のおにぎりのためのごはんをセットして、タイマーをかけて寝ました。朝、5:30。「ごはんが炊けてない!!」という声に飛び起きました。タイマーセット失敗!とにかくスイッチを入れて、ご飯が炊けるのを待ちながら、その間に朝食準備と出かける準備をしました。間に合うかなぁ?とドキドキしながら、何とか間に合い、お弁当を作ることができました。そして、受付業務の方も、予定通り6:30に出発することができました。
石巻VCへ向かう途中の道は、まだ台風の影響が残っていて、あちこちで水かさが増し、大きな池のようになった田んぼや、冠水した道路がありました。地震で地盤沈下していたり、地形が変わってしまっていて、思わぬところで、様々な被害が出ていたようです。石巻VCのある大学の敷地内でも、グラウンドが、どういう理由かはわかりませんが、池のように水が溜まっていて、サッカーゴールが水の中に浸かっていました。
先に出られたスタッフの方とボランティアさんは、私たちが着いた時には、すでに受付の準備をされていました。この日は、津波で流されてしまった家の敷地に、刈り取った草や枯れ木が山のように積んであるので、それを土嚢に詰めてほしいという作業の依頼でした。関東方面から来られたボランティアグループの方たちと一緒に活動させて戴きました。依頼は、その家の方ではなく、近所の方がされていました。この家の方は、避難されているということでした。家は、一部残っていましたが、流されてしまった敷地に、すごい量の刈り取った草や枯れ木が集められ、大きな山ができていました。いつの間にか、いろんな方がここに置いて行ってしまって、こんなになって、処分をどうしようかと困っていたのだと、依頼されたおじさんが、状況をお話しして下さいました。石巻市に問い合わせたら、土嚢に詰めてあれば持っていくということだったのですが、おじさんたちだけでは、どうしようもないということで、VCに依頼されたのでした。10人+おじさん2人で作業に取り掛かりましたが、10:00前くらいから始めて、昼食休憩をとって、すべてきれいに片付いたのは、15:00を過ぎていたと思います。草や木を土嚢につめるという単純作業ですが、これが、ほんとに大変でした。細かい枝の付いた木は折らないと入らないし、木の枝が太いと手では折れないので、鋸で切ったり、足で踏んづけて折ったり、草などは、水を含んでいるので、土嚢に入れると結構ずっしり重くなるのもあり、思ったより、重労働でした。が、この作業をしながら感じたのは、津波ですべてを失って、これからどうして生きて行こうかと考えておられる被災者自身に、いくら自分の家とは言え、こういう片づけ作業は、辛すぎるだろうと思いました。これこそ、外から来た私たちのやるべきことではないかと思いました。私たちが作業させて戴いた地区は、ほとんどが、まだ家を建てて1年くらいの新興住宅地だったようです。とてもきれいなお家が、1階部分がダメになっていたり、2階もだめだけど、ローンもあるし、出て行くよりは、何とか直して、住んでいるような状態のお家が多いのだそうです。一緒に作業していたおじさんたちのお家も、どうにか直して、掃除をして住んでいるのだと言われていました。作業させて戴いた方の家の裏には、スギ林があって、小鳥のさえずりが聞こえ、緑がとてもきれいなところだったそうです。すべて流され、まるで畑か田んぼの跡地のようになっていて、驚きました。作業の途中、この家の方が戻ってこられました。自分の家の片づけをしてもらっていると聴いて、避難先から来て下さったのです。70代くらいの年配の女性と、その息子さんでした。とても感謝して下さり、何度も頭を下げて下さいました。当時、2階に逃げて、水が引くのを待っていたそうです。とても怖かったと何度も仰っていました。水が引くと、土砂が一面に溜まっていて、2階からも降りられなかったそうです。どうしようと困っていたら、依頼人のおじさんの息子さんが助けに来てくれたと、改めておじさんに何度もお礼を言っておられました。このあたりの人は、3日間ずっと閉じ込められていたと言われていました。どんな思いで、その長い時間を過ごされたのか・・・。今日の作業は、この1週間で一番大変でしたが、させて戴いてよかったと思いました。ボランティアは、どんどん減ってきています。けれど、まだまだ、こんな風に個人で困っておられる方が多くおられるのではないかと、今日の作業を通して感じました。こういった地道なボランティア活動が継続され、たくさんの方に行ってもらえるように祈ります。また、自分も時間を作って再度訪れたいと思いながら、現地を後にしました。
教会に戻ってから、明日帰るので、お土産を見に行くついでに、夕御飯を外で食べようと、ボランティアさん、スタッフの方と出かけました。金曜日の夜と言うこともあり、町は、たくさんの人がいて賑やかでした。デパートの地下に、おいしい笹かまぼこのお店が入っていると聴いたので行ってみることに。地下をうろうろしていると、関西では見かけない食べ物が・・・。紫蘇の葉でお味噌を巻いたものが売られていました。(商品名を忘れてしまいました。)仙台は、仙台味噌が有名ですが、こんな風に紫蘇に巻いて食べるとは知らず、試食させてもらうと、これが実に美味しかったです。教会に戻って、地元出身の方に訊くと、仙台名物のひとつだと言っておられました。教会に戻ると、他のスタッフとボランティアさんが食事中でした。3週間滞在しておられたボランティアさんが、この週末に帰られるということで、この日の分かち合いは、ありがとう会ということで、スタッフの方が買ってこられたケーキでその方の3週間の労をねぎらい、一言ずつ、お礼の言葉をかけられました。
9月24日(土)
あっという間の1週間でした。台風にも見舞われ、どうなることかと思いましたが、本当に祝福されたよい時間を与えて戴いたことに感謝です。多くの出会いがありました。4つの教団の人たちが、この震災を通じて、この仙台教会に集められ、共に働くことの喜びを感じました。教会関係の方だけでなく、ここには、本当にいろんな方が、いろんな形で集められ、共に働いて下さっています。クリスチャンであっても、なくても、みんな私たちは、神の子であり、人と人は助け合って支えあって生きて行くのだということを、この1週間を通じて、神様は、私に教えて下さいました。主の導きに心から感謝します。そして、ここで出会ったお一人お一人に感謝します。このプロジェクトは、2014年まで続けられるそうです。きっと復興には、もっと長い年月がかかるかもしれませんが、関わっておられるスタッフの方々の働きを主が守り、祝福して下さることを祈ります。心と体を守って、お一人お一人の働きを強めて下さることを祈ります。東北がまたもとの素晴らしい街へと戻るために、遠く離れていても、いつも心にとめ、何ができるかを考え続けたいと思います。ありがとうございました。
在主
ボランティア 中谷(西宮南教会)