2011年10月15日土曜日

[ボラレポ]貝拾いは心に寄り添う活動でした

相手の言うことを聴くよりも自分がしゃべりがちになってしまう私が、被災した方々の心に寄り添うことができるだろうか?とても自信はないけれど、そうありたいと願い、被災地の方々のお話を聞きながら、教わりながら、私にできるお手伝いができたら、と思ってでかけました。 

仙台ボランティアセンターでは私以外にもう一人、ルーテル学院大生のHさん。ベテランボランティアさんです。スタッフはリーダーのSさん、准スタッフのK君とTさん。初日の夜、Sさんから「明日は一般のボランティアバスツアーの一行と共に、石巻の浜でがれきの撤去に入ります。力仕事ですが、大丈夫ですか」と翌日の活動計画を知らされました。11日は奇しくも大震災の日から7か月目です。まだまだ手つかずのところへ行くのかもしれないと思いました。

場所は石巻の白浜海岸というところでした。私は若いHさん、K君と共に、すでに到着していた約50名の京成バスチームと浜で合流しました。「力仕事」「がれき撤去」からイメージしたものとは異なり、粗大なものは見当たらず、一見通常よりは流木などの多い浜の「ゴミ、クリーンアップ作戦」といった風でした。被災者の方々と一緒の活動でもありません。

京成チームの方に伺うと「燃えるゴミと燃えないゴミを分別する」とのこと。「貝は?」とお尋ねすると、ある方は拾う必要はないとおっしゃり、ある方は「燃えるゴミです」とおっしゃるのでした。浜に貝が落ちているのは自然のことですが、尋常ではないその数と大きさに、はっとしました。よく見るとほぼすべてがカキ養殖の貝だったのです。これは被災された方々には余りに過酷で、とても拾うことなど無理と気づいた時、被災した方々の心に寄り添う活動を与えていただいたと感謝な思いで満たされました。

白浜に面したところにはまだ建てて間がないと思われる家2軒が残っていて、解体作業が始まっていました。住める可能性などないことが歴然としていても家が崩されていくのを見るのはそれだけで忍びないことですが、今崩されんとする家で風に舞っていたカーテンは、そこで営まれていた日常が一瞬の内に奪われたことを物語っていて、胸が締め付けられました。

浜での活動終了後と翌日の午前中、松島、石巻、南三陸の被災地、そして北上の大川小学校の現場にも、TVで見覚えのある場所へ車を走らせて下さいました。写真は一枚も撮りませんでしたが、まぶたの内にしっかり留めました。

2日目の本地生活センターでは新たに石巻、気仙沼のスタッフやボランティアさん達、執行部のお二人の先生方とも合流し、わずかの時間ながら寝食を共にする機会を与えられました。信州にゆかりのある方たちも2人いたことはうれしいことでした。私以外は全員長期に活動して来られたベテランばかりです。かえって足手まといになるだけではないかと心苦しい思いで開始した私の短い参加でしたが、主は最良のものを与えて下さいました。引き続き、被災地のみなさんの想いに繋がっていけることを願っています。

「わけぎ」がよき働き人の皆様の肉の糧となるまで無事に育ってくれることを祈りつつ。

ボランティア 牧(松本教会)