2012年9月19日水曜日

【ボランティア体験・防災教育】聖望学園の皆さんからの感想文が届きました!20120919

先月、「となりびと」でボランティアをされた聖望学園ハイスクールYMCA部の皆さんから感想文が届きました。(野口)

 
聖書科教員 久保 彩奈
「となりびと」での全ての日程を終え、自宅に帰りまずしたことは、避難袋の確認でした。震災以降、何度も確認はしていましたが、改めて行いました。震災への備え、そして震災という緊急時で要求される判断力について、語り部のYさんをはじめ、現地スタッフのSさんの言葉から影響を受けてのことでした。自分の命をいかに守るか、またそれと同時に、一教員として、子どもたちの命をいかに守るのか、ということも考えさせられました。大きく、そして途方も無い問いを与えられたように感じます。
 「となりびと」でお世話になるのは2度目でしたが、改めて、自分の生活の場で出来る支援を、そしてそれらを続けることの大切さを感じました。被災地での活動は日々の仕事や生活がある以上、どうしても限定されてしまいます。しかし、何か出来ることはないか、と思いを寄せ、少しでも力になれたらと思います。文化祭での物販も決めて帰って来ましたが、「わかめの一部は調理して、こんなに美味しんだよ!と伝えつつ、被災地のものを買ってもらいたい」、「Hi-Y部に入りたくても入れなかった子たちは結構いるから、きっと話せば協力してくれると思う!」などと積極的に取り組もうとする生徒たちの姿は本当に心強いですし、感動させられます。「となりびと」にお世話になった生徒たち以外にも、彼女たちがいかに学校内でアピールしていくか、どう思いを繋いでいくかが重要になってくるでしょう。また、彼女たちは高校2年生なので、来年度卒業します。生徒たちをサポートしながら、次の学年にも活動を繋げ、部活として、学校として被災地と関わっていくことが出来たらと思います。
 また今後も多くの人と体験を共有し、授業や礼拝等でも震災について触れ、子どもたちに伝えていこうと思います。本当にありがとうございました。
 
2年 新井 いつき
 4日間本当にありがとうございました。私は石巻で何に混乱していうかも、泣いているかもわからない初めて味わった気持ちと出会いました。
 お茶っ子サロンでおばあちゃんの話を聞いていて、大変だったんだろうと思うことしか出来ない自分が何か嫌いです。被災地と私たちは味わった辛さも悲しさも比べ物にならないけれど、おばあちゃんにかける言葉選んでいたときとき、被災地と私たちは別の国の人のように感じて寂しく、悲しかったです。石巻に来なければ、この気持ちにも出会わなかったし、津波のことも全然想像することができなかったと思います。
 自分はここで何をしに来て、なにができるのだろうと考えたとき、正直なにも出来ないと思います。自分の気持ち、感じていることはまだよくわからないけれど、今学生の私が出来ることは、東北大地震、津波があった。ということを覚えているだけでなく、今混乱しているこの気持ちを友達や後輩に味わってもらえるように、この気持ちを伝えることが学生の私だからこそ出来ることだと思います。本当にありがとうございました。
 
2年 井口 優
 今回、『となりびと』のボランティアに参加させてもらい、準備段階の時は正直な話、少しは好奇心でボランティアに行くことが楽しみでした。
 実際行って、仮設住宅で出し物をする時も、何をするのにもスタッフの方々が、親切に色々と助けてくれて、凄く迷惑かけたと思います。
 被災された方のお話を聞き、命の大切さを改めて感じ、そして何より、何も出来ていない自分に苛立ちを感じました。最終日に見た今の被災現状は、自分がイメージしていたのとは違い、頭の中が真っ白になってしまい、何と言っていいか分からない状態になってしまいました。好奇心で浮かれていた自分が、本当に馬鹿らしく感じました。「ボランティア」って何なんだろう、何が自分たちにこれからも出来るんだろう。と考えさせられるものでした。

 
2年 江口 夏子

 今回となりびとさんにお世話になって、お茶っ子サロンや語り部や被災地をまわらしてもらって、今まで感じたことのない大切な思いを経験させていただくことが出来て本当に感謝しています。
 私はテレビや新聞を通して被災地の現状を見てきましたが、実際に目の当たりにすると、悲しいとか信じられないとか、そういう思いではなく、頭が真っ白になって自分が何を思っているのかわからないというか、言葉が出ないというのはこういうことなんだと思いました。
 被災地訪問では、電信柱が斜めのままだったり、地盤沈下していたり、がれきの山がたくさんあったりして、震災の恐ろしさが伝わってくるような跡がまだ残っていることにショックを受けたというか、被災者の方の気持ちを考えると出来る限り早く片付けた方がいい、片付けなければならないのではないか、と私は思いました。でもそう思うだけで、自分自身何が出来るかわからず、情けなくなりました。
 大川小学校では、本当にここで子ども達がたくさん亡くなったんだと思うと心苦しくなりました。教室の天井がなくなっていたり、水道の蛇口やホースの一部が落ちていたりしていて私には見ているのが精一杯でした。津波が到達した高さは本当に高くて、想像がつきませんでした。ひまわりがたくさん植えてあるのをみると、まだ被災者の心はあの日のまま止まっているのかなと思いました。
 でもお茶っ子サロンでのおじいちゃんやおばあちゃんの笑顔を思い出すと、ほんの少しかもしれないけれど、心が温かくなるような時間が持てたのではないかと思いました。
 この体験を通してもっと多くの人に被災地や被災者の現状をしっかり心に留めてほしいと思いました。だから私は今自分にできると思うこと、現状を見て感じたことを友達や家族に話すことから始めようと思いました。そしてみんなにも私が感じたことを少しでも感じてもらえたらと思いました。私は今回感じたことを一生忘れません。
 4日間となりびとさんにお世話になって、その場の状況に素早く対応できる判断力の優れる人間になりたいという目標を持つことができました。そしてこれからは私たちのような世代が大切になってくるとSさんから学んだので、少しずつでも感じたことを整理して、私たちに何が出来るか考えようと思いました。
 この体験ができたこと、本当に感謝しています。そして同時に、元々自分は何を思ってこのボランティアに参加したのか自分を見つめ直すキッカケが持てたこと、感謝しています。もっと感じたことはあったけれど、上手く言葉にできなくて、申し訳ないのですが、私たち高校生を受け入れてくださり本当にありがとうございました。
 
2年 小野 愛美 
 8710日の4日間宮城県にあるルーテル教会救援にお世話になり被災地を見て回ったり被災者の方からお話を聞いたりしました。
 まずお茶っ子サロンでの発表では讃美歌を歌い押し花を作り被災者の方からお話を聞きました。讃美歌「きみは愛されるため生まれた」を歌っている時におばあちゃん達が「いい歌だねえ」と言っているのを聞きこの曲を皆で選んで良かったなと思いました。
皆で気持ちを込めて歌い歌詞の言葉が伝わったのかと思うととても嬉しいです。
 おばあちゃんとお茶やお菓子を食べながら話を聞く時間では津波が来た時の話を聞きました。
 「昔は働いた分だけ給料がもらえたから一生懸命働いて、お金を貯めてやっと建てた家が津波で流された」という話を聞き、何も言えませんでした。
 チラシ、キーホルダー配りでは仮設住宅を回りました。何ヵ所かに仮設住宅がかたまって建っていて友達と「結構多いんだね」と話していたんですが、被災された方達の人数を考えるとまだまだ足りないんだよなあと少し驚きました。仮設住宅は一見しっかりしているように見えましたが、よく見ると雨を避けるための壁に耐水性のものがはりつけてあって簡易な作りで住みやすそうには見えませんでした。仮設住宅の中は話で聞いていた通り狭く窮屈で、家にずっといるのは退屈ではないかと感じました。この狭い空間に一人でいると気分が落ち込んで不安に飲み込まれそうで仮設住宅に住んでいる人は大丈夫なのかと心配に思いました。
 次の日は被災者の方からお話を聞きました。まず被災地の写真を見せてもらいましたがあまりの光景に現実味を感じませんでした。お話では津波が来た日の体験や意見を聞かせてもらい、被災者の方の津波での思いを感じました。体験談はその日のことを細かく話してもらい、本当にこんなことが起きたんだとやっと現実味を感じることが出来ました。被災者の方のお話は気付かなかったことに気付かせてもらえたり、その方の考えを聞くことが出来てとても参考になりました。
 車で被災地を回ったときはその威力の大きさを感じ唖然としました。家の中に入らなくても家の中が見えるほどに崩れてしまった家や、原型を留めておらず元が何だったのか分からないゴミの山は海から離れていて津波が来なかった埼玉では見ることの出来ない光景で、恐怖を感じました。
 大川小学校を見に行ったときは大きなショックを受けました。教室の中には黒板と机が一つくらいしかなく壁からは中の鉄が見えてしまっていてガラスは全くなく中が丸見えになっていて、津波の痕が生々しく残っていました。教室の近くにはマーカーやバトンが落ちていてここに子供達がいたということを伝えていました。たくさんの子供達が笑顔で走り回ったり、ドッチボールをしている姿を想像し、すごく胸が苦しくなりました。
 今までの私はテレビで地震や津波の被害や映像を見てもただ大変だったんだなあとしか感じておらず、他人事の様に思っている自分がいました。しかし、今回宮城に来ることが出来て被災地や被災者の方の思いに触れてとても感じるものがありました。言葉では上手く表現出来ませんがそれをもっとたくさんの人に伝えていけたらいいなと思っています。そしてこの気持ちを自分自身大切にしていきたいです。
2年 村田 羅紗
  聖望学園2年村田羅紗です。まず34日本当にお世話になりました。
 お茶っこサロンで私達が出し物の時間を頂けると聞いた時は嬉しさと同時に、なにを今私達がすべきなのだろうかと凄く悩みました。悩み過ぎて全て私達のエゴなのではないかとまで考えていました。でも、実際現地に行かせてもらって発表した時、素直に喜んで、楽しんで参加して下さったおじいちゃん、おばあちゃんを見て、私達のエゴとか考えた自分を馬鹿馬鹿しく思えました。 私は自分達で一から準備して話し合って良かったなと思いました。 
 また、被災地をまわらせてもらった時、私は現実だと受け止めきれずその場にいたのに一人蚊帳の外みたいな感情でした。
 夜の分かち合いの時間他の友達が泣いているのに、まだ受け止めきれなくて泣く感情よりはただただ唖然としていました。
 けれど今少しずつ受け止められるようになりこれからどうして行くべきかを考えられるようになりました。やっぱり一番はこの震災のことを風化させないことなのかなと思います。この先震災を知らない子供達が増える中でなかなか進まないがれきの撤去などの復興。多分私達はそんな中で、もどかしい気持ちになると思います。けれどこんな私達だからこそ被災地の状況を伝えて行きたいと思います。
 また来年もお手伝いが出来たらいいなと思います。今回参加させてもらって考えることや悩みが増えました。けれど全部私にとって、被災地にとって、日本の未来にとって必要な悩みだったと思います。
 野口先生はじめ、私達のサポートをしてくださった全ての人に感謝です。ありがとうございました。
 
 2年 吉本 未来
 宮城県へ行って、仮設住宅で暮らしている方々とお話をしたり、語り部の方のお話を聞いたり、被災地訪問をすることができて本当に良かったです。とても貴重なことでした。仮設住宅のおじいちゃんおばあちゃんは優しく歓迎してくれて、一緒に歌を歌ってくれて、私はとても嬉しかったです。少しでも今日おちゃっこサロンに来て良かったって思ってくれていたらいいな、と思っていました。おじいちゃんおばあちゃんが自ら震災について話してくれたことは嬉しかったです。貴重なお話でした。被災地訪問では、がれきの山の多さにびっくりしました。まだ復興には時間がかかると実感しました。大川小学校の話を聞いてすごく悲しかった。実際に大川小学校に行ってみて津波のすさまじさにまたびっくりしたし怖いと思った。すぐ後ろに山があって、やっぱり後ろの山に逃げていれば多くの命が助かることが出来ただろうな、とか考えてしまった。語り部の方がおっしゃったとおり、判断力がとても大切で重要だと思いました。
 今回、宮城県に行くことができてこんな経験ができて、自分は良かったなと思います。となりびとの方々にも感謝しています。今回の経験を忘れないで次につなげたいです。自分の出来ることからしていきたいと思います。
                  
【現場(遠隔地)での活動&問題分析と
解決アプローチ設定の難しさ】
 
英語科教員 竹村 英明
 被災地への支援はどこから行うかという観点から現場と遠隔地の2つに分けることができる。私を含め被災地から距離がある場所に住む人にとって、被災地支援の活動となると、その選択肢は多くない。例を挙げれば、募金をしたり、ご当地の物産を購入したり、東北旅行をしたりするなど、今や被災地支援分野のビジネスも盛んだ。これらは物資やサービスやお金の流れを変える活動である。目的は様々であるが現地の失業率の回復や、住宅の復旧etc.、達成目標も明確で、金額を尺度として数値化しやすく客観的に活動を進めやすい。
 しかし、支援の際にもう一つ重要なのは、数値化しにくい、客観的に見えにくい部分にもあるはずだ。現地でしかできないことにも焦点をあててみると、被災者の心のケアが挙げられるのではないだろうか。これは目標を設定しにくく、手段も立てにくいのではないか、と個人的に感じている。今回、私たちは、普段あまり接することのない現場での支援活動を見学させていただいた。被災者の方々が住む仮設住宅で家や畑、家族が流されてしまったなどいろいろなお話を聴いた。被災者の方たちは、直接、口にはしないが、何かを必要としているかもしれない、憶測となってしまうが、物資やサービスだけでなく、周りの人を失った喪失感を埋めるものが必要ではないのか、と思う。口には出しにくい、または言葉になおせない思いは頻繁に被災者の方たちに接する中で、少しずつ読み取っていくしかないのだろう。だからこそ「となりびと」のような団体が、現場での声を聴き、分析し、活動内容を生み出すことが重要だろう、と改めて感じた。
 今回私たちは、数日のみの短期間しかお手伝いできなかったが、今後は遠隔地でもできることを探っていきたい。幸いなことに職場は学校、仕事は教師であり、今回、観聴きした事を少しでも多くの生徒に伝えたいと思う。また、Hi-Y部の生徒たち自身が考え、被災地の物産を文化祭で販売することも決定したので、部活動としての今後の活動をサポートしていきたい。
 【自分のボランティア活動のあり方】
 人は便利な生き物で楽しいことも辛いことも、そうした記憶や感情は時間とともに薄れる。私も支援活動をして中で、モチベーションが下がる時がある、日々の忙しさを理由に手を抜きたくなることがある。ただ、活動や目的を同じにする人たちが周りにいるともう少し頑張ってみようという気になる、一人ではあきらめてしまいそうなことも、「となりびと」や「Hi-Y」部のような人たちが周りにいると続けられそうな気がする。そう改めて実感した。