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2013年1月11日金曜日

【ボラレポ】カレー炊き出し 平和を創り出す人がいた


12月19日、南相馬市の仮設住宅団地でのカレー炊き出しボランティアに参加させて頂きました。
杉並聖真ルーテル教会で、北川牧師を中心に、何日もかけて作り、運んでくださったカレーを、大宮シオン・ルーテル教会からは、6名の参加で配らせて頂きました。

昨年震災直後の3月16日に出産した娘が、翌日に容態を急変し95日間苦しむ中、あらゆる手立てを尽くした末、天に見送ることになった私ですが、やっとボランティアへの参加が叶い、感謝しております。

時々小雪も舞う中、時間前から並んでくださった方達に「お待たせしました。召し上がってください」と手渡すと、「助かります」と深々とお辞儀をして帰られました。 

集会所に来ることの出来ない方には、地元のボランティア団体「六角支援隊」のメンバーと共に、戸別に回り、配りました。
後で「お代わりをください」と来られる方もおられました。
カレーと共にお渡しするメッセージカードは、両教会で300枚ずつ作り、1枚ずつ組み合わせ、1食に2枚つけて渡すことが出来ました。

このカードは、当日参加出来ない人達も、心を込めて書いてくださったので、少しでもその思いが伝わるようにと用意したものです。
「六角支援隊」の方々は、ご自分も被災されているにもかかわらず、地域の人々に、なんとか生きる力を取り戻すことが出来るように、農園を5か所も作ったり、催し物を企画し、時々入るボランティアのお世話までしておられ、痛みを分かち合っておられます。

ここにも、平和を創り出すひとがいると、心が熱くなりました。

原発20キロ圏内の悲惨さは、どんな言葉をもってしても表現できません。
一瞬のうちに生活のすべてと、身内の方の命まで奪われた方々の心の内は、計り知ることの出来ないものだと思われます。

滞在時間が短く、ご一緒に膝と膝を交えてお話しを聞きたかったけれど、それが出来ず残念でした。
でも、あの光景は目に焼き付いております。
これからも、心はずっと寄り添っていたいとおもうと共に、おひとりおひとりの望みが、できるだけ早く叶うように祈りつつ暮らしたいと思います。 

年明けには、石巻で行われている、つるしびな作りに参加したいと思いながら帰路につきました。
また、現地で働くボランティアの皆様の活動に感謝と敬意を捧げます。今後も無事に、健康も守られて続けられますようにお祈りしております。 
 
ボランティア 逢坂(大宮シオン・ルーテル教会)
 

【ボラレポ】カレー炊き出し 福島の地にキリストの恵みと平和を祈る


今回、杉並聖真ルーテル教会が中心となって開催しているカレー炊き出しボランティアに参加させていただきました。

東日本大震災が発生して以来、いつか必ずボランティアに参加したい、被災した人達の隣人になりたいという気持ちを持ち、祈り続けてきました。
その機会がついに訪れ、私は喜びとともに参加を即決しました。

12月19日に仙台を経由して福島県に入りました。
目的地は、南相馬市鹿島区にある仮設住宅団地です。
福島第一原発から約30キロのところでした。
集会所に到着したボランティアスタッフ達は、杉並聖真ルーテル教会の北川師の指示の下で、カレーライスの盛り付けをし、仮設住宅に住んでいらっしゃる人達に配りました。
カレーライスを受け取りに来る人達のうれしそうな顔を見て、私もうれしい気持ちになりました。
約二時間の作業でしたが、あっという間に終わってしまいました。

地元のボランティア団体である六角支援隊のスタッフさんに聞いたのですが、仮設住宅に住んでいらっしゃる人達は、70歳以上の高齢者がほとんどで、若い人達は既に引越したそうです。
このようなイベントはここの人達にとても喜ばれるのだと教えていただきました。

また、故郷を離れて仮設住宅に住んでいらっしゃる人達にとって、孤立化や孤独感が大きな問題であり、それを防ぐための精神的なケアが大事であることを教えていただきました。

炊き出しの終了後、大留さんの案内で南相馬市の原町区に向かいました。
震災の被害が大きかった海岸沿いを中心に訪ねました。
福島第一原発から20~25キロのところでした。

決壊した防波堤、地震と津波で破壊されたまま放置された家、放射線のため人が住めなくなった町並みが、私達の目の前に広がりました。
初めは瓦礫処理が順調に進んでいる様子を見ることができたのですが、原発に近付くにつれて復興がほとんど進んでいないことを知りました。

この現実を目の当たりにして、クリスマスをどのように喜べば良いのだろうか?
そんな疑問が私の心に浮かんできました。
復興が進んでいる地域とそうではない地域。
復興の流れから取り残されて今なお苦しんでいる人達。
このことをどのように受け止めれば良いでしょうか?
キリスト者としてどのように祈れば良いのでしょうか?

六角支援隊のスタッフさんは私達に次のように言いました。
「福島は復興したと誤解している人が多いが、まだ復興は道半ばです。あなた達が見た現状を周囲の人たちに伝えて欲しい。そしてこれからも福島の復興に関心を持って欲しい。」

キリスト者の務めは、主の言葉を聞いて、主の言葉を語ること。
福島の地にもキリストの恵と平和が宿っていることを信じ、祈り続けること。
福島のための祈りこそが、私に課せられた務めだと思いました。

最後に、今回のボランティアにご協力くださった大留さんを始めとする六角支援隊のみなさま、北川師、大宮シオン・ルーテル教会の梁師、ルーテルとなりびとの野口師、佐藤さんの働きに、心から感謝いたします。

ボランティア 禹(大宮シオンルーテル教会)
 

2012年9月19日水曜日

【ボランティア体験・防災教育】聖望学園の皆さんからの感想文が届きました!20120919

先月、「となりびと」でボランティアをされた聖望学園ハイスクールYMCA部の皆さんから感想文が届きました。(野口)

 
聖書科教員 久保 彩奈
「となりびと」での全ての日程を終え、自宅に帰りまずしたことは、避難袋の確認でした。震災以降、何度も確認はしていましたが、改めて行いました。震災への備え、そして震災という緊急時で要求される判断力について、語り部のYさんをはじめ、現地スタッフのSさんの言葉から影響を受けてのことでした。自分の命をいかに守るか、またそれと同時に、一教員として、子どもたちの命をいかに守るのか、ということも考えさせられました。大きく、そして途方も無い問いを与えられたように感じます。
 「となりびと」でお世話になるのは2度目でしたが、改めて、自分の生活の場で出来る支援を、そしてそれらを続けることの大切さを感じました。被災地での活動は日々の仕事や生活がある以上、どうしても限定されてしまいます。しかし、何か出来ることはないか、と思いを寄せ、少しでも力になれたらと思います。文化祭での物販も決めて帰って来ましたが、「わかめの一部は調理して、こんなに美味しんだよ!と伝えつつ、被災地のものを買ってもらいたい」、「Hi-Y部に入りたくても入れなかった子たちは結構いるから、きっと話せば協力してくれると思う!」などと積極的に取り組もうとする生徒たちの姿は本当に心強いですし、感動させられます。「となりびと」にお世話になった生徒たち以外にも、彼女たちがいかに学校内でアピールしていくか、どう思いを繋いでいくかが重要になってくるでしょう。また、彼女たちは高校2年生なので、来年度卒業します。生徒たちをサポートしながら、次の学年にも活動を繋げ、部活として、学校として被災地と関わっていくことが出来たらと思います。
 また今後も多くの人と体験を共有し、授業や礼拝等でも震災について触れ、子どもたちに伝えていこうと思います。本当にありがとうございました。
 
2年 新井 いつき
 4日間本当にありがとうございました。私は石巻で何に混乱していうかも、泣いているかもわからない初めて味わった気持ちと出会いました。
 お茶っ子サロンでおばあちゃんの話を聞いていて、大変だったんだろうと思うことしか出来ない自分が何か嫌いです。被災地と私たちは味わった辛さも悲しさも比べ物にならないけれど、おばあちゃんにかける言葉選んでいたときとき、被災地と私たちは別の国の人のように感じて寂しく、悲しかったです。石巻に来なければ、この気持ちにも出会わなかったし、津波のことも全然想像することができなかったと思います。
 自分はここで何をしに来て、なにができるのだろうと考えたとき、正直なにも出来ないと思います。自分の気持ち、感じていることはまだよくわからないけれど、今学生の私が出来ることは、東北大地震、津波があった。ということを覚えているだけでなく、今混乱しているこの気持ちを友達や後輩に味わってもらえるように、この気持ちを伝えることが学生の私だからこそ出来ることだと思います。本当にありがとうございました。
 
2年 井口 優
 今回、『となりびと』のボランティアに参加させてもらい、準備段階の時は正直な話、少しは好奇心でボランティアに行くことが楽しみでした。
 実際行って、仮設住宅で出し物をする時も、何をするのにもスタッフの方々が、親切に色々と助けてくれて、凄く迷惑かけたと思います。
 被災された方のお話を聞き、命の大切さを改めて感じ、そして何より、何も出来ていない自分に苛立ちを感じました。最終日に見た今の被災現状は、自分がイメージしていたのとは違い、頭の中が真っ白になってしまい、何と言っていいか分からない状態になってしまいました。好奇心で浮かれていた自分が、本当に馬鹿らしく感じました。「ボランティア」って何なんだろう、何が自分たちにこれからも出来るんだろう。と考えさせられるものでした。

 
2年 江口 夏子

 今回となりびとさんにお世話になって、お茶っ子サロンや語り部や被災地をまわらしてもらって、今まで感じたことのない大切な思いを経験させていただくことが出来て本当に感謝しています。
 私はテレビや新聞を通して被災地の現状を見てきましたが、実際に目の当たりにすると、悲しいとか信じられないとか、そういう思いではなく、頭が真っ白になって自分が何を思っているのかわからないというか、言葉が出ないというのはこういうことなんだと思いました。
 被災地訪問では、電信柱が斜めのままだったり、地盤沈下していたり、がれきの山がたくさんあったりして、震災の恐ろしさが伝わってくるような跡がまだ残っていることにショックを受けたというか、被災者の方の気持ちを考えると出来る限り早く片付けた方がいい、片付けなければならないのではないか、と私は思いました。でもそう思うだけで、自分自身何が出来るかわからず、情けなくなりました。
 大川小学校では、本当にここで子ども達がたくさん亡くなったんだと思うと心苦しくなりました。教室の天井がなくなっていたり、水道の蛇口やホースの一部が落ちていたりしていて私には見ているのが精一杯でした。津波が到達した高さは本当に高くて、想像がつきませんでした。ひまわりがたくさん植えてあるのをみると、まだ被災者の心はあの日のまま止まっているのかなと思いました。
 でもお茶っ子サロンでのおじいちゃんやおばあちゃんの笑顔を思い出すと、ほんの少しかもしれないけれど、心が温かくなるような時間が持てたのではないかと思いました。
 この体験を通してもっと多くの人に被災地や被災者の現状をしっかり心に留めてほしいと思いました。だから私は今自分にできると思うこと、現状を見て感じたことを友達や家族に話すことから始めようと思いました。そしてみんなにも私が感じたことを少しでも感じてもらえたらと思いました。私は今回感じたことを一生忘れません。
 4日間となりびとさんにお世話になって、その場の状況に素早く対応できる判断力の優れる人間になりたいという目標を持つことができました。そしてこれからは私たちのような世代が大切になってくるとSさんから学んだので、少しずつでも感じたことを整理して、私たちに何が出来るか考えようと思いました。
 この体験ができたこと、本当に感謝しています。そして同時に、元々自分は何を思ってこのボランティアに参加したのか自分を見つめ直すキッカケが持てたこと、感謝しています。もっと感じたことはあったけれど、上手く言葉にできなくて、申し訳ないのですが、私たち高校生を受け入れてくださり本当にありがとうございました。
 
2年 小野 愛美 
 8710日の4日間宮城県にあるルーテル教会救援にお世話になり被災地を見て回ったり被災者の方からお話を聞いたりしました。
 まずお茶っ子サロンでの発表では讃美歌を歌い押し花を作り被災者の方からお話を聞きました。讃美歌「きみは愛されるため生まれた」を歌っている時におばあちゃん達が「いい歌だねえ」と言っているのを聞きこの曲を皆で選んで良かったなと思いました。
皆で気持ちを込めて歌い歌詞の言葉が伝わったのかと思うととても嬉しいです。
 おばあちゃんとお茶やお菓子を食べながら話を聞く時間では津波が来た時の話を聞きました。
 「昔は働いた分だけ給料がもらえたから一生懸命働いて、お金を貯めてやっと建てた家が津波で流された」という話を聞き、何も言えませんでした。
 チラシ、キーホルダー配りでは仮設住宅を回りました。何ヵ所かに仮設住宅がかたまって建っていて友達と「結構多いんだね」と話していたんですが、被災された方達の人数を考えるとまだまだ足りないんだよなあと少し驚きました。仮設住宅は一見しっかりしているように見えましたが、よく見ると雨を避けるための壁に耐水性のものがはりつけてあって簡易な作りで住みやすそうには見えませんでした。仮設住宅の中は話で聞いていた通り狭く窮屈で、家にずっといるのは退屈ではないかと感じました。この狭い空間に一人でいると気分が落ち込んで不安に飲み込まれそうで仮設住宅に住んでいる人は大丈夫なのかと心配に思いました。
 次の日は被災者の方からお話を聞きました。まず被災地の写真を見せてもらいましたがあまりの光景に現実味を感じませんでした。お話では津波が来た日の体験や意見を聞かせてもらい、被災者の方の津波での思いを感じました。体験談はその日のことを細かく話してもらい、本当にこんなことが起きたんだとやっと現実味を感じることが出来ました。被災者の方のお話は気付かなかったことに気付かせてもらえたり、その方の考えを聞くことが出来てとても参考になりました。
 車で被災地を回ったときはその威力の大きさを感じ唖然としました。家の中に入らなくても家の中が見えるほどに崩れてしまった家や、原型を留めておらず元が何だったのか分からないゴミの山は海から離れていて津波が来なかった埼玉では見ることの出来ない光景で、恐怖を感じました。
 大川小学校を見に行ったときは大きなショックを受けました。教室の中には黒板と机が一つくらいしかなく壁からは中の鉄が見えてしまっていてガラスは全くなく中が丸見えになっていて、津波の痕が生々しく残っていました。教室の近くにはマーカーやバトンが落ちていてここに子供達がいたということを伝えていました。たくさんの子供達が笑顔で走り回ったり、ドッチボールをしている姿を想像し、すごく胸が苦しくなりました。
 今までの私はテレビで地震や津波の被害や映像を見てもただ大変だったんだなあとしか感じておらず、他人事の様に思っている自分がいました。しかし、今回宮城に来ることが出来て被災地や被災者の方の思いに触れてとても感じるものがありました。言葉では上手く表現出来ませんがそれをもっとたくさんの人に伝えていけたらいいなと思っています。そしてこの気持ちを自分自身大切にしていきたいです。
2年 村田 羅紗
  聖望学園2年村田羅紗です。まず34日本当にお世話になりました。
 お茶っこサロンで私達が出し物の時間を頂けると聞いた時は嬉しさと同時に、なにを今私達がすべきなのだろうかと凄く悩みました。悩み過ぎて全て私達のエゴなのではないかとまで考えていました。でも、実際現地に行かせてもらって発表した時、素直に喜んで、楽しんで参加して下さったおじいちゃん、おばあちゃんを見て、私達のエゴとか考えた自分を馬鹿馬鹿しく思えました。 私は自分達で一から準備して話し合って良かったなと思いました。 
 また、被災地をまわらせてもらった時、私は現実だと受け止めきれずその場にいたのに一人蚊帳の外みたいな感情でした。
 夜の分かち合いの時間他の友達が泣いているのに、まだ受け止めきれなくて泣く感情よりはただただ唖然としていました。
 けれど今少しずつ受け止められるようになりこれからどうして行くべきかを考えられるようになりました。やっぱり一番はこの震災のことを風化させないことなのかなと思います。この先震災を知らない子供達が増える中でなかなか進まないがれきの撤去などの復興。多分私達はそんな中で、もどかしい気持ちになると思います。けれどこんな私達だからこそ被災地の状況を伝えて行きたいと思います。
 また来年もお手伝いが出来たらいいなと思います。今回参加させてもらって考えることや悩みが増えました。けれど全部私にとって、被災地にとって、日本の未来にとって必要な悩みだったと思います。
 野口先生はじめ、私達のサポートをしてくださった全ての人に感謝です。ありがとうございました。
 
 2年 吉本 未来
 宮城県へ行って、仮設住宅で暮らしている方々とお話をしたり、語り部の方のお話を聞いたり、被災地訪問をすることができて本当に良かったです。とても貴重なことでした。仮設住宅のおじいちゃんおばあちゃんは優しく歓迎してくれて、一緒に歌を歌ってくれて、私はとても嬉しかったです。少しでも今日おちゃっこサロンに来て良かったって思ってくれていたらいいな、と思っていました。おじいちゃんおばあちゃんが自ら震災について話してくれたことは嬉しかったです。貴重なお話でした。被災地訪問では、がれきの山の多さにびっくりしました。まだ復興には時間がかかると実感しました。大川小学校の話を聞いてすごく悲しかった。実際に大川小学校に行ってみて津波のすさまじさにまたびっくりしたし怖いと思った。すぐ後ろに山があって、やっぱり後ろの山に逃げていれば多くの命が助かることが出来ただろうな、とか考えてしまった。語り部の方がおっしゃったとおり、判断力がとても大切で重要だと思いました。
 今回、宮城県に行くことができてこんな経験ができて、自分は良かったなと思います。となりびとの方々にも感謝しています。今回の経験を忘れないで次につなげたいです。自分の出来ることからしていきたいと思います。
                  
【現場(遠隔地)での活動&問題分析と
解決アプローチ設定の難しさ】
 
英語科教員 竹村 英明
 被災地への支援はどこから行うかという観点から現場と遠隔地の2つに分けることができる。私を含め被災地から距離がある場所に住む人にとって、被災地支援の活動となると、その選択肢は多くない。例を挙げれば、募金をしたり、ご当地の物産を購入したり、東北旅行をしたりするなど、今や被災地支援分野のビジネスも盛んだ。これらは物資やサービスやお金の流れを変える活動である。目的は様々であるが現地の失業率の回復や、住宅の復旧etc.、達成目標も明確で、金額を尺度として数値化しやすく客観的に活動を進めやすい。
 しかし、支援の際にもう一つ重要なのは、数値化しにくい、客観的に見えにくい部分にもあるはずだ。現地でしかできないことにも焦点をあててみると、被災者の心のケアが挙げられるのではないだろうか。これは目標を設定しにくく、手段も立てにくいのではないか、と個人的に感じている。今回、私たちは、普段あまり接することのない現場での支援活動を見学させていただいた。被災者の方々が住む仮設住宅で家や畑、家族が流されてしまったなどいろいろなお話を聴いた。被災者の方たちは、直接、口にはしないが、何かを必要としているかもしれない、憶測となってしまうが、物資やサービスだけでなく、周りの人を失った喪失感を埋めるものが必要ではないのか、と思う。口には出しにくい、または言葉になおせない思いは頻繁に被災者の方たちに接する中で、少しずつ読み取っていくしかないのだろう。だからこそ「となりびと」のような団体が、現場での声を聴き、分析し、活動内容を生み出すことが重要だろう、と改めて感じた。
 今回私たちは、数日のみの短期間しかお手伝いできなかったが、今後は遠隔地でもできることを探っていきたい。幸いなことに職場は学校、仕事は教師であり、今回、観聴きした事を少しでも多くの生徒に伝えたいと思う。また、Hi-Y部の生徒たち自身が考え、被災地の物産を文化祭で販売することも決定したので、部活動としての今後の活動をサポートしていきたい。
 【自分のボランティア活動のあり方】
 人は便利な生き物で楽しいことも辛いことも、そうした記憶や感情は時間とともに薄れる。私も支援活動をして中で、モチベーションが下がる時がある、日々の忙しさを理由に手を抜きたくなることがある。ただ、活動や目的を同じにする人たちが周りにいるともう少し頑張ってみようという気になる、一人ではあきらめてしまいそうなことも、「となりびと」や「Hi-Y」部のような人たちが周りにいると続けられそうな気がする。そう改めて実感した。
 
 
 

【ボランティア体験】ルーテル学院大学の皆さんから感想文が届きました。20120919

8月に「となりびと」でボランティア体験をされたルーテル学院大学の学生の方々から感想文が届きました。(野口)


「被災地の目に見える問題と目に見えない問題」 臨床心理学科2年 江口 慧

  被災地に行き、自分にはいったい何が出来るかどう人と接すればいいか不安がありました。現地には目に見える問題と、目に見えない問題が混在していました。
 当日は、大森仮設住宅のお祭りの手伝いをやらせて頂きました。そこで、気づいたことは家を失うということは、繋がりが無くなるということです。つまり、目に見える問題として、心の支えがなくなるということです。今まで自分を支えてくれるものがあったから、頑張れたのに持ち物にも、愛着があったものが震災で消えて、安心できるものがない中、今も生活を送っている事実に出会いました。そういう中、お祭りは人との繋がりを作るものであり、公園が少なくなった中子どもにとって、笑顔になれるものだったと思います。
 目に見えない問題としては、親戚の方が虐待を行うケースの方が、他人が子どもを預かるケースより、多いと聞きました。「きっと、どうしてこんなにやっているのに、この子は言うことを聞かないの」と震災後自分をどう受け入れれば、自分を保てるか、さ迷う子どもの行動を、自分の子ではないからこそ、言うことを聞かない、反抗していると親戚の方は、思い込んでしまうのかもしれません。
 震災後の孤児が暮らせる面倒を見てくれる施設が作られているそうです。そこで、働く人が必要になることを教えて頂きました。このことから、人と人が支え合うことは大切ですが、一人の人間が一人の人間を支えるということは、負担になっているのかもしれません。誰か身近に専門家が子どもの話を聞くだけでなく、親の話、子どもを預かっている親戚の方の話や、相談に乗ってくれる機関が必要だと感じました。私たちの身近な問題でも、子どもを育てられない親は存在するので、その問題にも同じようなことが言えます。私は、将来身近な相談役として、カウンセラーを目指したいと思いました。
 最後に、ルーテルの学生は恵まれているなと思いました。このような貴重な体験をさせて頂き、ボランティアの機会を作って頂いた皆様に、心から感謝いたします。45日本当にありがとうございました。
 
「今を大切に生きる」 社会福祉学科2年 相馬冬佳

  震災から一年半が経とうとしています。私は、今回初めてボランティアに参加させていただきました。私一人の力では何も変わらないけれど、少しでも役に立てたらという思いで仙台に向かいました。
  ボランティアでは、大森仮設での夏祭りに参加させて頂き、お祭りの準備から当日のお手伝い、後片付けまで最初から最後までお手伝いさせて頂きました。暑い中みんなで協
力して頑張れたと思います。大森仮設に住んでいる方たちは、住み始めてまだ一年も経っていないとスタッフさんからお聞きし、このお祭りで住民の方々の新しい出会いの場となり、子どもたちにとっては夏の良い思い出となって欲しいという思いを胸に当日を迎えました。
  仮設に住む人たち全員が来てくれた訳ではありませんが、ご高齢の方から小さい子まで幅広い層の年代の方が足を運んで下さり、皆さんにとって良い時間だったと感じてくれたら嬉しく思います。
  お祭りの前日には、被災された大川小学校、女川町、門脇小学校を見させてもらいました。同じ日本で遠く離れた場所でこんなにも大きな災害が起きたこと、そしてここで多くの命が奪われたこと、津波の怖さを痛感させられた時間でした。
  短い間でしたが、いろんなことを感じた期間であり、今を大切に生きていこうと改めて実感させられました。まだまだ復興には多くの人達の協力が必要です。また時間を作ってボランティアに参加できたらと思っています。現地のスタッフさん、先生方、一緒にボランティアに参加した同期や後輩たちと一緒に過ごせたこの時間に感謝します。ありがとうございました。 

「三回目のボランティア参加で学んだこと」  キリスト教学科2年 三宅 光 

                
  私は今回で三回目のボランティアになりました。今回は、仮設住宅のお祭りの出店および手伝いをしました。
  私が前に参加したボランティアでは、仮設住宅に行く機会がなく今回が初めてとなりました。教会から仮設住宅までの道のりは遠く、またお祭りの準備が早く朝の5時に起きる必要があり毎日眠い中で出発しました。お祭りでは芋もちというジャガイモの食べ物と子供たちとシャボン玉で遊ぶ出し物をしました。私はシャボン玉を担当しましたが、当日は日差しがとても強くまた手を洗う水を頻繁に運ぶ必要がありとても疲れました。それでも最後までやり遂げることができました。子どもたちも喜んでいてよかったです。
  またお祭りの準備の合間に被災地を見学しました、他の人は震災の恐ろしさを感じていたのに対し、私の場合前に来た時よりも整理されて、工場が復旧していて少しずつ立ち直ってきていると思いました。
  今回で三回目となりましたがまだまだ私がやれることも学ぶこともあることが今回のボランティアで学ぶことができました。また今度機会があれば再びボランティアに参加したいと思います。

 「ボランティアに参加して」 社会福祉学科1年 佐藤 瑛

 今回の活動内容としては、主に大森仮設住宅で行われる夏祭りの開催・出店に伴う準備と当日のお手伝いや花壇の草取り、そして被災地訪問でした。
 私にとって、今回が初めての被災地でのボランティアであり、訪問でした。私は、仙台全体が被災して、まだ復興していないものと勝手に勘違いしてしまっていたので、初めて仙台駅に到着した時は、予想外で驚いたのを覚えています。そして、二日目に石巻にある花壇の草取りをしに行った時に見た光景が日本の今、普段、皆が生活するはずの町を見ているというより、まるで古代ギリシャの建造物を見ている時と同じような類いの印象が強かったです。
 三日目にも大川小学校などの被害が大きい所を回りましたが、可哀想とか同情的な感情や親近感、津波と地震に対する恐怖感など、それこそ色々な感情を感じましたが、正直いってほとんど無だったと思います。なぜか、考える気力が湧いてこなかったし、考えたくなかったのです。それにまず驚きました。
 お祭りの前日・当日の2日間、大森仮設住宅の住民の方々と震災の話から世間話まで様々な話をしました。新しく出逢い、接し、普段できないとても貴重な体験を経験させていただきました。勿論、シャボン玉やカフェ、いももちの出店に伴う体験もその一つです。今回、周りとの交流をつくる機会とする夏祭りの第一回目に参加させていただけたことにとても感謝しています。
 そして、次回は今回の取り組みが活かされ、より多くの方々に参加していただいて広い交流をもてればいいなと思っています。それには、私自身も出来る限りの協力をさせていただきたいと考えています。
 今回、ボランティア活動をするに伴い受け入れてくださった、となりびとの皆さまや大森仮設住宅の方々、ルーテル学院大学の先生方、本当にありがとうございました。

 「教科書より大切なこと」 社会福祉学科2年 河井 知 

 822日~826日に行き、日本福音ルーテル仙台教会、ルーテル支援センターとなり人に泊まりボランティア活動を3日間しました。短期間でボランティアをするにあたって何か大きなことをできるわけではありませんが、小さなことや地道なことでもやるかやらないかでは大きく違うと思いますし、それには大きな意味があると思っています。
 ボランティアを通して人とのコミュニケーションをする中で人と接することは大切でかけがえのないのもだとあらためて感じました。塾、学校で教科書に書いてないことを沢山学び知識を深めることができ、それはそこに行かなければ知ることのなかったとても貴重なことですし、これからもその知識は今後の糧になると感じています。
 また将来自分がどういうことをやりたいのか考える視野が広がりました。仙台の石巻等に行ってよい経験ができたその反面、津波の被害の光景を見たり津波のあった話を聞いたりして心にやり残せない感情、もやもやした気持ちが残ったのも事実です。

 「ボランティアでの経験」 臨床心理学科1年  野元  宏昭 

 私は東日本大震災での慰霊碑に向かった時、なにを祈ればいいか分かりませんでした。

「どうか安らかに」、「清らかに」、「来世では‥」、出てくる言葉はどれも嘘の様に感じました。
 私はあの3.11の津波や地震の恐怖は分かりません。口では少しは分かると言えても、その実、何一つ分かることが出来ません。震災時、私は東京に居たのですから、私が「分かる」とは言えない気がしていました。ボランティア中、私は慰霊碑に向かって何を思えば良かったのかずっと考えていました。けれど、言葉は出ず、何も持って無い自分が浮き彫りになりました。
 4日目の活動でお祭りの運営のお手伝いをした時、私は子供たちと遊ぶシャボン玉店を担当しました。お祭り中、子供たちもすごく楽しんでくれているみたいで、へとへとになりながらも気力を振り絞って接しました。
 無事にシャボン玉店も終わり、屋外の水道で用具を洗っていると、仮設住宅に戻る親子が近くを通りました。母親とまだ小さな兄弟でした。兄弟は洗い物をしている私に気づいて、「シャボン玉楽しかった!」と大声で言ってくれました。家に入るまで、その兄弟は口々にその言葉を言ってくれ、私に手を振ってくれました。
 その時私は、心の中でストンと何かが落ちました。言葉では上手く書けません。慰霊碑に何を祈ればいいか分からない私でも、とりあえずは今していることは間違ってないんだ、と思えました。その時はたまたま私一人だったので危うく泣きそうになりました。
 3.11に、私は何か力になれることはないかと思いました。私の周りの友達も同じ気持ちでした。でもその時は、まだ私たちは高校生でした。しかし、今は違います。やれることがあります。あの時感じた気持ちをなかったことにしないで、ボランティアに参加してもらえたらこんなに嬉しいことはないです。

 

2012年7月24日火曜日

[ボラレポ]津田沼教会チームより

6月にボランティアに参加くださった日本福音ルーテル津田沼教会の7名の方より、ご報告を頂きました。
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・荒浜地区、閖上地区訪問
この地区の建物は、ほぼ全壊。地盤沈下もあり、前日の台風の雨が溜まっており、荒涼とした風景でした。
 
・石巻市大川小学校跡地、石巻、女川、東松島付近訪問
多くの子供が犠牲になった大川小学校の跡地には、破壊された校舎がひっそりとたたずみ、津波に流された子供たちのことを考えると胸が痛みました。
 
・お茶っ子サロン参加 
(午前)参加者女性3名+男性1名
参加したある女性は大震災後の津波の話を堰を切ったように話し始められました。
外部の他人だからこそ話し合い易かった面があったのかなと思いました。 
傾聴のボランティアの役目は大きいと感じました。
(午後)参加者女性12名
夏見母子ホームから託された千羽鶴でできたタペストリーを持参しました。参加している方々は非常に喜んでおられました。
 
・センター、教会訪問 
(センター訪問)
ルーテル支援センターのある仙台教会では、野口牧師、スタッフ、
ボランティアの方々に被災地の状況を教えて頂いた。
(鶴ケ谷教会)藤井牧師訪問、会堂見学、保育所訪問。
 
・直接被災地を見ることの重要性を痛感しました。
・今後、ボランティアの人数は減ると思われますが、一方、被災者の方々には傾聴等精神的なケアの重要性が増すものと思われます。(私たちクリスチャンの出来ることが多いと思います。)  
・多くの方が被災地を直接訪問することを期待します。
・お茶っ子クラブへのお菓子等の送付等の支援が役立ちます。
・また、何よりも祈りによって被災者のことを支え続けることが重要です。
  

2012年6月27日水曜日

[ボラレポ]命の励ましとなるように


今回、私は、同じ教会の宣教師夫人と一緒に花壇づくりボランティアに参加しました。
 
心配していた雨が止み、農作業日和になり、用意して頂いた花の苗をみんなで協力して植えました。いろいろな種類のお花があり、カラフルな花畑になりました。
 
参加して下さった方の中に、すぐ近くの浜の方にあったご自宅が流され、多くのご友人を亡くされ悲しんでいるとお話しされたご婦人がいらっしゃいましたが、花畑の作業を楽しんでいる様子でした。もちろん、完成した花畑を見て、みんな笑顔でした。

作業を終え、帰る途中、そこの地名が門脇と言うことを知りました。私の友人の実家があった地域で、震災当日、友人の母は、船で息子さんに助けられた話を聞いていましたので、お母さんにも花畑を見てもらい、笑顔になってもらいたいと思いました。

これから、家も畑も無くなってしまった多くの場所に、命の花がたくさん咲き、被災者の方の励ましになりますように願っています。

このプロジェクトを企画して下さった「スワン国際協力の会」の皆様と、となりびとのスタッフの皆様のお働きに感謝申し上げます。
 
ボランティア 佐々木(東京教会)
 

2012年5月13日日曜日

[ボラレポ]となりびとに参加して

昨年からずっと気になっていた「ルーテル支援センター・となりびと」へ、このGW(5╱3~5╱6)に神様から背中を押されるようにして参加することができました。

 主な作業は石巻十三浜の漁港でのわかめ封入作業でした。全国のわかめ復活サポーターが震災で流されてしまった養殖わかめを、もう一度復活させるために支援しました。今回は、地元の方々から全国のサポーターへのお礼の気持ちをこめたわかめの発送作業の手伝いでした。

 地元の方々の復興へ向けて立ち上がる姿、悲しみを乗り越えてみんなで力を合わせ助け合う絆を実感しました。スポーツ選手などが被災地に行って逆に元気をもらった、というのはこのことかと思いました。

2012年4月10日火曜日

[ボラレポ]再び、石巻へ


昨年7月末に一週間個人の家屋の泥だし、片づけのボランティアをさせていただき、その後は石巻がぐっと近く私の心に入ってきました。いつかまた機会を作って、行ってみようと今回2回目の石巻行きでした。

今回のボランティアの内容は仮設住宅での”お茶っこサロン”のお手伝いでした。チラシ配り、声かけ、音楽による歌唱、体操、おしゃべりというものでした。

17年前の阪神淡路大震災以来、心のケアの重要性が望まれる中、兵庫県は県認定の音楽療法士を養成してきました。私も認定を受け、仮設住宅、復興住宅、施設での音楽療法を実践してきました。
その中で、音楽が持つ力の大きさを体験しました。”人は音楽によってその心を豊かにし、励まされることがある”ということを。

[ボラレポ]音楽で寄り添う

 
この度、4月2日~6日の間、ボランティア活動に参加させていただきました。仮設住宅にお茶っこのチラシを配り、お茶っこの日には、参加者と話すことができました。また、ヴァイオリンを持参したので、リクエストに応え演奏したりもしました。

スタッフの皆様がいたおかげで、被災者とのふれあいや、様々な被災地を見て回ることができました。被災者の声を聞き、被災地を実際の目でみることで、テレビでは分からない、被災者の思い、被害の大きさ、復興の状態を知ることができました。また、高齢者だけでなく、小学生とも震災について話すことができました。被災者を支援する側の私でしたが、私にとってとても学びの深いものとなりました。

私は、以前からボランティアに参加しようと、何度も思っていましたが、気持ちだけで行動に移すことができませんでした。しかしこの度、母が行くということで、私も行くきっかけができ、ボランティアに参加することができました。もし、ボランティアに参加せず、以前のようにテレビで知るだけで留まっていたら、本当の被災地・被災者を知ることはできていませんでした。

このような学びができたのは、スタッフの皆様のおかげです。大変お世話になりました。本当にありがとうございました。

ボランティア 外山(西神教会)
 

[ボラレポ]続けて祈りと支援を

となりびとのボランティアに参加することができ、感謝します。
スタッフの方々に温かく迎えていただき、3日の短期でしたが、もっと長く参加できたように感じています。
初日はビラの準備でした。

2日目は鶴見さんの運転で石巻、南三陸、女川、松島と、広範囲の被災地を見せていただきました。途中、三か所の仮設住宅で、翌日からのプログラムのビラ配りをしました。
沿岸部では半壊した建物がそのまま残っていたり、まだまだ復興が進んでいるとは言えない状況です。それでも、少しずつ町がきれいに戻っているのもわかります。続けて、祈りと支援が必要だと思いました。

3日目は、石巻の仮設住宅で「おちゃっこ会」のお手伝いをさせていただきました。
音楽療法士のボランティアの方が音楽と体操で楽しませてくれて、心身がほぐれたのか、みなさん和気あいあいとおしゃべりに花が咲き、笑顔で帰って行かれ、うれしく思いました。
この活動を忍耐強く続けているスタッフの方々の健康が支えられるように、また、いろんな技術を持ったボランティアの人が継続的に与えられるように願います。

ボランティア 飛鷹(新田教会)
 

2012年3月18日日曜日

ボラレポ・第4回バスボラに参加して

 2月29日~3月1日最短のボランティアです。あの突然の雪の中、朝8時市ヶ谷センターを出発した。参加者は、8名スタッフ2名の計10名と少数でした。途中の東北道も雪、結果的に除雪車の先導で走ることになり、幸い仙台に到着するころには雪も上がっていました。
 最初の訪問地、宮戸島西部漁協の海苔加工工場に到着したのは2時間ほど遅れていました。ここは、昨年6月工場の床をピカピカにしたところです。幸い海苔工場を復活できたところです。工場も順調に操業をしていました。海苔が機械の上をどんどん走っています。
 おばちゃんたちとの再会は、楽しいものでした。黒光りする海苔を「ルーテルさん」のためにとっておいて下さいました。現在は、海水温が低いため味は変わらないものの黒光りする海苔は取れないとのことでした。でも機械は動いています。
 支所運営委員長の小野さんが来て、美味しい海苔を一枚づつ頂きながら復活までの6か月間の経過報告をして下さいました。おばちゃんたちだけでなく、漁師をしているおじさんたちやいまだ復旧工事に参加している方たちも本当に再会を喜んで下さいました。
 ここに小さなボランティアを通して絆が生まれていることを嬉しく思いました。
 宮戸島をバスは離れ、女川・大河・雄勝地区を過ぎ、すっかり暗くなった大川小学校の祭壇の前で祈りをささげました。
 夜、仙台のボランティアセンターで分かち合い、ボランティア参加者は全員仮設住宅の方々との交流は未経験です。みんな不安でした。立野泰博牧師、伊藤文雄牧師からいろいろお話を伺い、心の準備をしました。

2012年2月10日金曜日

[ボラレポ]私達を信頼してくださった


主のみ名を讃美します。
去る1月25日(水)から27日(金)の2泊3日の短い期間ではありましたが「ルーテル教会支援」、ボランティア活動の一員として参加しました。

その前日に行われた義姉の四十九日法要に出席するために上京した機会に是非とも東北に行きたいという気持が強かったのです。強かったというよりも、それ以上の気持ちがありました。それは「行かなければならない」という強い気持ちでした。

ボランティア活動を終えて今思っていることは、ボランティア活動をしたという大げさなものではなく、その一端に触れることが出来たということでしょう。「ルーテル教会支援」としてどのようなことが今なされており、今後どのような活動が行われようとしているのかをこの身に感じることが出来たかなと思っています。

2011年10月22日土曜日

[ボラレポ]目にしてわかること

主の聖名を賛美します。
この度、10月14日~19日までボランティア活動に参加させて頂きました。
想定外の大地震と言われてましたが、実際現地で目にした現況は想像以上でした。

現地の専従スタッフの皆様にはお世話なりました。となりびとの活動範囲地域のうち、気仙沼市以外の東松島、石巻市などの被災地を見る事も出来ました。活動は支援物資の配送、被災建物の清掃そしてバザーの物品準備、仮設住宅の調査訪問などを致しました。

2011年10月15日土曜日

[ボラレポ]貝拾いは心に寄り添う活動でした

相手の言うことを聴くよりも自分がしゃべりがちになってしまう私が、被災した方々の心に寄り添うことができるだろうか?とても自信はないけれど、そうありたいと願い、被災地の方々のお話を聞きながら、教わりながら、私にできるお手伝いができたら、と思ってでかけました。 

仙台ボランティアセンターでは私以外にもう一人、ルーテル学院大生のHさん。ベテランボランティアさんです。スタッフはリーダーのSさん、准スタッフのK君とTさん。初日の夜、Sさんから「明日は一般のボランティアバスツアーの一行と共に、石巻の浜でがれきの撤去に入ります。力仕事ですが、大丈夫ですか」と翌日の活動計画を知らされました。11日は奇しくも大震災の日から7か月目です。まだまだ手つかずのところへ行くのかもしれないと思いました。

2011年10月6日木曜日

[ボラレポ]私たちは皆、神の子

この1週間の働きが主によって守られましたことを感謝いたします。また、多くの方の祈りに支えられ、無事帰路に着くことができましたことを感謝し、お礼申し上げます。

3月11日14:46 大きな地震が起こりました。大阪にいて、仕事中車を運転していた私にもその揺れは感じることができました。阪神淡路大震災を思い起こさせるようなその揺れに、どこかで大きな地震が起きたのではないか?と直感しました。

地震と津波による被害は、関東・東北地方の沿岸部に広範囲にわたって広がり、ほんとに多くの方が命を失い、恐怖と不安に日本中を陥れました。震災の後、私は、看護師として現地へ赴きたいと思いました。けれど、すぐに動くことはできませんでした。しばらく、悶々とした日々を過ごしていました。1カ月経って、私の勤務している訪問看護ステーションが所属している病院から被災地派遣の話がありました。私も手を挙げましたが、今回は、外科経験の豊富な方をということで断念しました。それからも、何ができるだろうとずっと考え続け、東北へ行けるタイミングを待っていました。私は、ボランティアで行くなら、看護師として入ろうと思っていました。けれど、何かひっかかるものを感じていました。そんな時、となりびとのことをHPで知りました。そうか、私は、クリスチャンとして、ひとりのとなりびととして行くべきなのだと思い、職を離れて、一人の人として、自分にできることをさせてもらおうと、となりびとへの参加を希望しました。

2011年10月5日水曜日

[ボラレポ]当たり前という奇跡を感謝したい

ボランティアに参加された大和さんより、勤務先の学校の礼拝で生徒さんたちへ向けてお話しされたメッセージをいただきました。その一部をお分ちします。
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「新しい1日を始められることが、決して当たり前のことではない」と感じた経験がこの夏もありましたので、今日はその話を少ししようと思います。私はこの夏休み、3泊4日と大変短い期間ではありましたが、宮城県にボランティアに行きました。ちょうどお盆の時期だったのでボランティアの活動もお休みのところが多かったのですが、1日は石巻市にあるデイケアセンターで泥かきと草むしりをし、もう1日は長期ボランティアとして滞在しているスタッフの人に案内をしてもらいながら被災地を見て回りました。東松島市、石巻市の雄勝町、そして女川や南三陸、など震災以来テレビや新聞でよく目にするようになった場所を回ると、多くの家やお店、そして工場や学校が津波によって流され、瓦礫が散乱していたり、逆に瓦礫は既に撤去されていてさら地になっていたりする様子がどこまでも続いており、改めて津波による被害の大きさを実感しました。 

2011年9月29日木曜日

[ボラレポ]お話を伺うこと

台風が過ぎ去った後の秋晴れの2日間、主人と「となりびと」に参加させて頂きました。 
今回で主人は3回目、私は4回目でした。
私達の姪や甥と参加させて頂いた事もあります。

私は、宮城県の登米(とめ)の出身です。「となりびと」のお蔭で、故郷のためにボランティアが出来て感謝しています。
これまで、仙台市若林地区、多賀城、女川、石巻などの被災地を歩かせて頂きましたが、今回は、気仙沼で一日を過ごすことができました。

天ケ沢の仮設住宅の地域の方々との交流の為に行われた、おぢゃっこ会(お茶会)で被災されたおばあさん達とお話しができました。(地元の言葉がわかるので通訳なしで)

2011年9月24日土曜日

[ボラレポ]始まっている


二度目のボランティアでした。
北上地区での農作業や仙台教会で写真の再生作業、キッチンボランティア。
そして、前回行った宮戸島漁協の集会所の窓ガラス拭き、隣の前回泥だしをした海苔加工所を再び訪れました。

[ボラレポ]支援する人と支援される人

9月13日から15日までの3日間、ルーテルとなりびとでのボランティアに参加させていただきました。関西に住んでいて、一度も東北地方に行ったことなない私にとって正直今回の震災はテレビの中だけの出来事、外国の出来事でしたが、実際に仙台、石巻の地を踏んだことではじめて震災のリアリティを感じることになりました。
なにより強く感じたのは現地スタッフの方の働きの尊さです。ちょうど立野師と伊藤師の派遣終了の時期でしたが、佐藤さんや遠藤さん達、現地仙台に住まわれてルーテルとなりびとのボランティア活動の土台を支えてくださっている皆さんの働きに心から感謝すると同時に、なにより健康が守られ、また気持ちも支えられていくようにお祈りいたします。

2011年9月21日水曜日

[ボラレポ]台湾チームから

8月に海外から初めてチームとしてボランティアに参加された台湾チーム一行からのレポートが届きました。英文で頂いたもの以外は、原文のままです。
以下のリンクからご覧ください。

https://docs.google.com/viewer?a=v&pid=explorer&chrome=true&srcid=0ByMCandIeHaEMzcxZTJkNDItNGUxNC00OGNmLTk0YzMtZTU1ZmQyYmI4NjQw&hl=ja