「被災地の目に見える問題と目に見えない問題」 臨床心理学科2年 江口 慧
目に見えない問題としては、親戚の方が虐待を行うケースの方が、他人が子どもを預かるケースより、多いと聞きました。「きっと、どうしてこんなにやっているのに、この子は言うことを聞かないの」と震災後自分をどう受け入れれば、自分を保てるか、さ迷う子どもの行動を、自分の子ではないからこそ、言うことを聞かない、反抗していると親戚の方は、思い込んでしまうのかもしれません。
震災後の孤児が暮らせる面倒を見てくれる施設が作られているそうです。そこで、働く人が必要になることを教えて頂きました。このことから、人と人が支え合うことは大切ですが、一人の人間が一人の人間を支えるということは、負担になっているのかもしれません。誰か身近に専門家が子どもの話を聞くだけでなく、親の話、子どもを預かっている親戚の方の話や、相談に乗ってくれる機関が必要だと感じました。私たちの身近な問題でも、子どもを育てられない親は存在するので、その問題にも同じようなことが言えます。私は、将来身近な相談役として、カウンセラーを目指したいと思いました。
最後に、ルーテルの学生は恵まれているなと思いました。このような貴重な体験をさせて頂き、ボランティアの機会を作って頂いた皆様に、心から感謝いたします。4泊5日本当にありがとうございました。
「今を大切に生きる」 社会福祉学科2年 相馬冬佳
力して頑張れたと思います。大森仮設に住んでいる方たちは、住み始めてまだ一年も経っていないとスタッフさんからお聞きし、このお祭りで住民の方々の新しい出会いの場となり、子どもたちにとっては夏の良い思い出となって欲しいという思いを胸に当日を迎えました。
仮設に住む人たち全員が来てくれた訳ではありませんが、ご高齢の方から小さい子まで幅広い層の年代の方が足を運んで下さり、皆さんにとって良い時間だったと感じてくれたら嬉しく思います。
お祭りの前日には、被災された大川小学校、女川町、門脇小学校を見させてもらいました。同じ日本で遠く離れた場所でこんなにも大きな災害が起きたこと、そしてここで多くの命が奪われたこと、津波の怖さを痛感させられた時間でした。
短い間でしたが、いろんなことを感じた期間であり、今を大切に生きていこうと改めて実感させられました。まだまだ復興には多くの人達の協力が必要です。また時間を作ってボランティアに参加できたらと思っています。現地のスタッフさん、先生方、一緒にボランティアに参加した同期や後輩たちと一緒に過ごせたこの時間に感謝します。ありがとうございました。
「三回目のボランティア参加で学んだこと」 キリスト教学科2年 三宅 光
私が前に参加したボランティアでは、仮設住宅に行く機会がなく今回が初めてとなりました。教会から仮設住宅までの道のりは遠く、またお祭りの準備が早く朝の5時に起きる必要があり毎日眠い中で出発しました。お祭りでは芋もちというジャガイモの食べ物と子供たちとシャボン玉で遊ぶ出し物をしました。私はシャボン玉を担当しましたが、当日は日差しがとても強くまた手を洗う水を頻繁に運ぶ必要がありとても疲れました。それでも最後までやり遂げることができました。子どもたちも喜んでいてよかったです。
またお祭りの準備の合間に被災地を見学しました、他の人は震災の恐ろしさを感じていたのに対し、私の場合前に来た時よりも整理されて、工場が復旧していて少しずつ立ち直ってきていると思いました。
今回で三回目となりましたがまだまだ私がやれることも学ぶこともあることが今回のボランティアで学ぶことができました。また今度機会があれば再びボランティアに参加したいと思います。
「ボランティアに参加して」 社会福祉学科1年 佐藤 瑛
今回の活動内容としては、主に大森仮設住宅で行われる夏祭りの開催・出店に伴う準備と当日のお手伝いや花壇の草取り、そして被災地訪問でした。
私にとって、今回が初めての被災地でのボランティアであり、訪問でした。私は、仙台全体が被災して、まだ復興していないものと勝手に勘違いしてしまっていたので、初めて仙台駅に到着した時は、予想外で驚いたのを覚えています。そして、二日目に石巻にある花壇の草取りをしに行った時に見た光景が日本の今、普段、皆が生活するはずの町を見ているというより、まるで古代ギリシャの建造物を見ている時と同じような類いの印象が強かったです。
三日目にも大川小学校などの被害が大きい所を回りましたが、可哀想とか同情的な感情や親近感、津波と地震に対する恐怖感など、それこそ色々な感情を感じましたが、正直いってほとんど無だったと思います。なぜか、考える気力が湧いてこなかったし、考えたくなかったのです。それにまず驚きました。
お祭りの前日・当日の2日間、大森仮設住宅の住民の方々と震災の話から世間話まで様々な話をしました。新しく出逢い、接し、普段できないとても貴重な体験を経験させていただきました。勿論、シャボン玉やカフェ、いももちの出店に伴う体験もその一つです。今回、周りとの交流をつくる機会とする夏祭りの第一回目に参加させていただけたことにとても感謝しています。
そして、次回は今回の取り組みが活かされ、より多くの方々に参加していただいて広い交流をもてればいいなと思っています。それには、私自身も出来る限りの協力をさせていただきたいと考えています。
今回、ボランティア活動をするに伴い受け入れてくださった、となりびとの皆さまや大森仮設住宅の方々、ルーテル学院大学の先生方、本当にありがとうございました。
また将来自分がどういうことをやりたいのか考える視野が広がりました。仙台の石巻等に行ってよい経験ができたその反面、津波の被害の光景を見たり津波のあった話を聞いたりして心にやり残せない感情、もやもやした気持ちが残ったのも事実です。
私は東日本大震災での慰霊碑に向かった時、なにを祈ればいいか分かりませんでした。
「どうか安らかに」、「清らかに」、「来世では‥」、出てくる言葉はどれも嘘の様に感じました。
私はあの3.11の津波や地震の恐怖は分かりません。口では少しは分かると言えても、その実、何一つ分かることが出来ません。震災時、私は東京に居たのですから、私が「分かる」とは言えない気がしていました。ボランティア中、私は慰霊碑に向かって何を思えば良かったのかずっと考えていました。けれど、言葉は出ず、何も持って無い自分が浮き彫りになりました。4日目の活動でお祭りの運営のお手伝いをした時、私は子供たちと遊ぶシャボン玉店を担当しました。お祭り中、子供たちもすごく楽しんでくれているみたいで、へとへとになりながらも気力を振り絞って接しました。
無事にシャボン玉店も終わり、屋外の水道で用具を洗っていると、仮設住宅に戻る親子が近くを通りました。母親とまだ小さな兄弟でした。兄弟は洗い物をしている私に気づいて、「シャボン玉楽しかった!」と大声で言ってくれました。家に入るまで、その兄弟は口々にその言葉を言ってくれ、私に手を振ってくれました。
その時私は、心の中でストンと何かが落ちました。言葉では上手く書けません。慰霊碑に何を祈ればいいか分からない私でも、とりあえずは今していることは間違ってないんだ、と思えました。その時はたまたま私一人だったので危うく泣きそうになりました。
3.11に、私は何か力になれることはないかと思いました。私の周りの友達も同じ気持ちでした。でもその時は、まだ私たちは高校生でした。しかし、今は違います。やれることがあります。あの時感じた気持ちをなかったことにしないで、ボランティアに参加してもらえたらこんなに嬉しいことはないです。